パーヴォ・ヤルヴィ(指揮)ロング・インタビュー Part1
bravo.jp
小室敬幸
11.11.2019
日本のオーケストラのシェフに海外の著名指揮者が就任することが珍しくなくなって久しいが、近年は欧米でキャリアを築き上げつつある30〜50代の指揮者が目立つようになった。これはメジャーリーガーの大スターがキャリアの終わりに日本のプロ野球へとやってくるがごとく、功成り名を遂げた老指揮者が日本のオケのポストを受ける図式とは根本的に異なるため、驚きとともに迎えられることも多い。なかでも2015年にNHK交響楽団の首席指揮者にパーヴォ・ヤルヴィが就任するというニュースは、大きな話題を呼び起こした。
当時のパーヴォ・ヤルヴィはフランクフルト放送響の首席指揮者を退任したばかりだったが、それでもパリ管の首席指揮者とドイツ・カンマーフィル芸術監督を兼任する身であった。ヨーロッパのトップクラスのオケを率いていた彼が、単発の客演こそあるにせよ、日本国内で大きなポストを持つことなど、多くのファンが予想していなかったに違いない。当初は3年間と発表された任期が2021年8月まで延長されていることからも、N響との関係は非常に良好。パーヴォは就任当初からN響が欧州のトップレベルのオーケストラに引けを取らない存在だと公言しており、実際に彼が指揮すると、N響がこれほどまでに凄いオーケストラだったのかと改めて驚かされることが多かった。更には演奏会のプログラミングの巧みさや、お馴染みの名曲であってもこれまでの印象が大きく変わってしまうような斬新な視点に唸らされたりと、パーヴォがN響に新時代をもたらしつつあることは間違いないだろう。
そんなパーヴォ・ヤルヴィ率いるNHK交響楽団が、2020年の2月から3月にかけてヨーロッパ・ツアーを行う。同楽団がパーヴォとヨーロッパを訪れるのは、2017年以来2度目。このツアーにかける意気込みは勿論のこと、この21世紀という時代に、彼がどのような思いを胸に抱きながら音楽と向き合っているのかについて、たっぷりと話をうかがった。まずは、この時代に欠かせないものとなったSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の話題から……。
── パーヴォさんはFacebook、Twitter、Instagramと、主だったSNSを活用されて、様々なことを投稿されていますが、SNSはご自身の意思で始められたのでしょうか?
そうです。でも明確なマーケティング戦略があるわけではありませんよ(笑)。環境問題や政治問題のことを書くこともありますが、基本的には自分が楽しんでやっているのです。自分の音楽活動にまつわる情報を発信してはいても、(セルフブランディング的な)自分のイメージをどうこうしようという戦略ではありません。なにしろ自分のフォロワーが何人いるのかも把握していないほどなので……。
特に気にかけていて自分で投稿したり、他の人の投稿をリポスト(リツイート、シェア)したりするのは母国エストニアについての動向です。例えば、ペレストロイカによってロシアが去ったあと、エストニアとロシアの国境付近でどんなことが起こっているのか……。こうした情報は多くのニュースのなかで埋もれてしまって、ほとんどの人の目に留まらない。それを投稿したりリポストしたりすることで、自分が大切にしていることを他の人々にも知ってもらいたいのです。
── きっと普段からSNSを使っている人々の大多数がそのような思いで投稿していますよね。パーヴォさんも同じであると。
とはいえ、政治的なことはごく一部で、投稿の大部分は音楽、文化、芸術、教育のことです。まずは、自分が音楽家として何をやっているのかということを発信していきたい。ところが大規模なエンターテインメントに比べると、私たちの分野は予算的な規模では全然敵いませんから、(メディア露出で)競争することが出来ません。少しでもみなさんに伝えられるプロモーションの機会や手段があれば、それを有効に使わない手はないのです。「CDが発売された」「コンサート・ツアーがある」……というようなことを、自分からみなさんに伝えていきたい。私はクラシックの音楽家として、演奏会で指揮することと同じぐらい、伝道師となって音楽の魅力を広めていくことも自分に課せられた重要な使命だと考えていますから。
── だからお忙しい中であろうと、こうしたインタビューも積極的にお答えになられているわけですね。そしてCDのお話がありましたけれど、これまでN響でポストを持っていた指揮者の多くは、パーヴォさんほどN響とのCDのリリースに積極的ではなかったように思います。
私がCDのレコーディングに力を入れているのは、いくつかの理由があります。ひとつはより多くのみなさんに、世界中の人たちに、N響の凄さを聴いていただきたいということです。ヨーロッパやアメリカでN響の話をすると、「ああ、日本のオケね。でも彼らはあんまり歴史がないから……」で片付けてしまいがちです。でも実際に私たちが最初に録音した《英雄の生涯》のCDを聴いてもらうと、すぐさま「凄いオーケストラじゃないか!?」という反応が返ってくるわけです。私たちはすべての国々に行くことは出来ませんが、CDや配信はどこでも聴くことができます。ですから、そういう媒体を通せば、自宅にいながらにしてN響の演奏を聴いてもらうことが可能になるのです。
── では、他の理由は?
レコーディングやそれを収めたCDは、私たち音楽家の歩みを記録し、後に残すべき遺産なのです。古くて録音状態が悪いものであっても、R.シュトラウスやヒンデミットが自分の作品をどう振ったのかを聴くことができるのです。そういうものが残っていなければ、音楽史のなかに穴があいてしまいますよね。
例えば、今日(取材日の9月12日)はグスタフ・マーラーがミュンヘンで、交響曲第8番(《千人の交響曲》)を世界初演した日です。その時に誰かがiPhoneを持っていて、それをレコーディングしてくれていたら……もしそんなものが残っていたら、どんなことをしても手に入れたいですよ。
自分たちの演奏を録音しCDとして残すことで、N響の長い歴史の中で私たちがどういう演奏をしたかをどなたにもいつでも聴いていただけますし、私自身も、自らの演奏を振り返ることができます。一つのオーケストラがその指揮者や時代によって変化してく、その変遷を辿るのはとても私自身にとっても興味深いことなのです。
そして私たちは、常に最高の音楽を生み出そうと努力していますので、その成果を未来に残しておく責任があるのです。逆に、この時代に録音を残さないというのは、無責任だとさえ思います。私自身もCDやストリーミングによって、新しい録音だけでなく、フルトヴェングラーやフリッツ・ライナーのような過去の録音を聴いて、得るところが多いのです。
── パーヴォさんは過去の録音でいうと、他に朝比奈隆さんの録音をかなり熱心に集められているそうですね。
大ファンです。私の人生に革命を起こしてくれた、最高のブルックナー指揮者の一人ですから。
── そうした過去の演奏を熱心に聴かれていることと、パーヴォさんの伝統にとらわれない新鮮な演奏は、矛盾しないのですよね?
伝統に縛られないでいるためには、その伝統が何なのかを知ることが大切です。出発点として過去のいろいろな演奏を知っているに越したことはない。しかし私は何が何でも伝統と異なることを志向しているわけではなく、あくまで「最終的な結果」が異なっているということなのです。自分の考えをもとに、さまざまなアプローチを試したり、異なる演奏を聴いたり、別の角度から眺めてみたり、さらに考え直してみる――こういう試行錯誤を繰り返して解釈を熟成させ、ようやくたどり着く音楽。最初から伝統と異なるものを作ろうとしているのではなく、あくまでも自分の内部からの有機的な発展の結果として伝統とは異なるものが生まれているだけなのです。
それに朝比奈隆やギュンター・ヴァントによる偉大なブルックナー解釈だけでなく、バーンスタインがニューヨーク・フィルと(1976年に)交響曲第6番をどう演奏したかを知らなければ、この作品の解釈の可能性についての自分の見解を狭めてしまうことにさえなるかもしれません[註:バーンスタインが生涯に一度だけ取り上げたブルックナーの交響曲第6番の演奏は長らくラジオ放送のエアチェック・テープとして流通し、2000年にニューヨーク・フィルに自主制作盤として正式にCD化された。パーヴォが接していたのはそのエアチェック・テープだった]。
── バーンスタインのブルックナーというと、最晩年にウィーン・フィルと録音した第9番が有名ですけれど、第6番ですか!?
バーンスタインは緻密なアナリーゼに基づいた上で本能的にブルックナーを振っているのですが、彼の残された録音から学ぶことは本当に沢山あります。私は決して過去と違う演奏をするのを目的としているのではなく、より良い演奏をするべく努力しているだけなのです。
── パーヴォさんは特定の考えに縛られることなく、常にとてもオープンな感覚を持ち合わせていらっしゃいますが、そのマインドに我々聴衆も刺激を受けているように思います。N響が本当に世界に通用するトップレベルのオーケストラであることを、パーヴォさんを通じて日本のファンが気付かされているように思うのです。
そう言っていただけると嬉しいです。演奏というものは、客観的に判断することが非常に重要です。先入観を持つべきではないですし、ヨーロッパやアメリカのオーケストラであっても、すべての演奏がいいわけではない。思ってもみないところから素晴らしい演奏が生まれることもあります。例えば、最近発売された《ニーベルングの指環》のCDで香港フィルを聴きましたが、素晴らしいオーケストラでした。録音は演奏を客観的に判断するにはうってつけです。
── ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンの指揮する香港フィルによるワーグナーは、世界中で大評判となっていますよね。
20年前はいざ知らず、今は違います。レッテルで決めるのではなく、実際に聴いてみることが重要です。現在は、日本だけではなくアジア各地で演奏技術や音楽解釈の熟成度が高まってきています。演奏者の出身地だけで判断したり、歴史との繋がりだけで決めつけたりするべきではありません。
── 日本のリスナーの中にも、ウィーンやベルリンのオーケストラが最高で、それと異なるからレベルが落ちるという見方を未だにされる方もいるようです。
そんな比較の仕方はまったく意味がないですね。いちいち比較していたのでは、その演奏の本質を見誤るでしょう。演奏を楽しむことすらできません。比較によって、演奏の価値を判断するのは間違っているように思います。誰だって生まれながらにしてパーフェクトなのですから。「自分が最初に聴いた録音と随分違うから、ちょっとどうなのかな?」という判断をする人も多いようですが、そうした過去の記憶と比べてじゃないと価値が判断できないのはもったいない。前向きではないし、もっと虚心坦懐に音楽に接するべきなのです。非生産的でもありますよね。
(通訳:井上裕佳子/取材協力:NHK交響楽団)
>> 後編へ続く
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パーヴォ・ヤルヴィ / Paavo Järvi
2019年9月にNHK交響楽団首席指揮者として5シーズン目を迎えたパーヴォ・ヤルヴィは、これまで重点的に採り上げてきたドイツ・ロマン派や北欧、ロシアの作品に加えて、オール・ポーランド・プログラムなど意欲的な曲目にも取り組んでいる。その挑戦する姿勢は、発信力の強さと相まって、N響のみならず、日本のオーケストラ界全体にとって大きな刺激となっている。海外活動にも積極的で、2020年2月から3月にはN響と2度目となるヨーロッパ公演を行う。
エストニアのタリン生まれ。現地の音楽学校で学んだ後、アメリカのカーティス音楽院で研鑽を積み、バーンスタインにも師事。シンシナティ交響楽団、hr交響楽団、パリ管弦楽団などの要職を歴任。現在は、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団芸術監督、エストニア祝祭管弦楽団の芸術監督などを務める。2019/20年シーズンからはチューリヒ・トーンハレ管弦楽団の音楽監督兼首席指揮者に就任。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などの名門オーケストラにも客演し、現代を代表する指揮者のひとりとして、世界で活躍している。
http://www.paavojarvi.com/
小室敬幸
11.11.2019
日本のオーケストラのシェフに海外の著名指揮者が就任することが珍しくなくなって久しいが、近年は欧米でキャリアを築き上げつつある30〜50代の指揮者が目立つようになった。これはメジャーリーガーの大スターがキャリアの終わりに日本のプロ野球へとやってくるがごとく、功成り名を遂げた老指揮者が日本のオケのポストを受ける図式とは根本的に異なるため、驚きとともに迎えられることも多い。なかでも2015年にNHK交響楽団の首席指揮者にパーヴォ・ヤルヴィが就任するというニュースは、大きな話題を呼び起こした。
当時のパーヴォ・ヤルヴィはフランクフルト放送響の首席指揮者を退任したばかりだったが、それでもパリ管の首席指揮者とドイツ・カンマーフィル芸術監督を兼任する身であった。ヨーロッパのトップクラスのオケを率いていた彼が、単発の客演こそあるにせよ、日本国内で大きなポストを持つことなど、多くのファンが予想していなかったに違いない。当初は3年間と発表された任期が2021年8月まで延長されていることからも、N響との関係は非常に良好。パーヴォは就任当初からN響が欧州のトップレベルのオーケストラに引けを取らない存在だと公言しており、実際に彼が指揮すると、N響がこれほどまでに凄いオーケストラだったのかと改めて驚かされることが多かった。更には演奏会のプログラミングの巧みさや、お馴染みの名曲であってもこれまでの印象が大きく変わってしまうような斬新な視点に唸らされたりと、パーヴォがN響に新時代をもたらしつつあることは間違いないだろう。
そんなパーヴォ・ヤルヴィ率いるNHK交響楽団が、2020年の2月から3月にかけてヨーロッパ・ツアーを行う。同楽団がパーヴォとヨーロッパを訪れるのは、2017年以来2度目。このツアーにかける意気込みは勿論のこと、この21世紀という時代に、彼がどのような思いを胸に抱きながら音楽と向き合っているのかについて、たっぷりと話をうかがった。まずは、この時代に欠かせないものとなったSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の話題から……。
── パーヴォさんはFacebook、Twitter、Instagramと、主だったSNSを活用されて、様々なことを投稿されていますが、SNSはご自身の意思で始められたのでしょうか?
そうです。でも明確なマーケティング戦略があるわけではありませんよ(笑)。環境問題や政治問題のことを書くこともありますが、基本的には自分が楽しんでやっているのです。自分の音楽活動にまつわる情報を発信してはいても、(セルフブランディング的な)自分のイメージをどうこうしようという戦略ではありません。なにしろ自分のフォロワーが何人いるのかも把握していないほどなので……。
特に気にかけていて自分で投稿したり、他の人の投稿をリポスト(リツイート、シェア)したりするのは母国エストニアについての動向です。例えば、ペレストロイカによってロシアが去ったあと、エストニアとロシアの国境付近でどんなことが起こっているのか……。こうした情報は多くのニュースのなかで埋もれてしまって、ほとんどの人の目に留まらない。それを投稿したりリポストしたりすることで、自分が大切にしていることを他の人々にも知ってもらいたいのです。
── きっと普段からSNSを使っている人々の大多数がそのような思いで投稿していますよね。パーヴォさんも同じであると。
とはいえ、政治的なことはごく一部で、投稿の大部分は音楽、文化、芸術、教育のことです。まずは、自分が音楽家として何をやっているのかということを発信していきたい。ところが大規模なエンターテインメントに比べると、私たちの分野は予算的な規模では全然敵いませんから、(メディア露出で)競争することが出来ません。少しでもみなさんに伝えられるプロモーションの機会や手段があれば、それを有効に使わない手はないのです。「CDが発売された」「コンサート・ツアーがある」……というようなことを、自分からみなさんに伝えていきたい。私はクラシックの音楽家として、演奏会で指揮することと同じぐらい、伝道師となって音楽の魅力を広めていくことも自分に課せられた重要な使命だと考えていますから。
── だからお忙しい中であろうと、こうしたインタビューも積極的にお答えになられているわけですね。そしてCDのお話がありましたけれど、これまでN響でポストを持っていた指揮者の多くは、パーヴォさんほどN響とのCDのリリースに積極的ではなかったように思います。
私がCDのレコーディングに力を入れているのは、いくつかの理由があります。ひとつはより多くのみなさんに、世界中の人たちに、N響の凄さを聴いていただきたいということです。ヨーロッパやアメリカでN響の話をすると、「ああ、日本のオケね。でも彼らはあんまり歴史がないから……」で片付けてしまいがちです。でも実際に私たちが最初に録音した《英雄の生涯》のCDを聴いてもらうと、すぐさま「凄いオーケストラじゃないか!?」という反応が返ってくるわけです。私たちはすべての国々に行くことは出来ませんが、CDや配信はどこでも聴くことができます。ですから、そういう媒体を通せば、自宅にいながらにしてN響の演奏を聴いてもらうことが可能になるのです。
── では、他の理由は?
レコーディングやそれを収めたCDは、私たち音楽家の歩みを記録し、後に残すべき遺産なのです。古くて録音状態が悪いものであっても、R.シュトラウスやヒンデミットが自分の作品をどう振ったのかを聴くことができるのです。そういうものが残っていなければ、音楽史のなかに穴があいてしまいますよね。
例えば、今日(取材日の9月12日)はグスタフ・マーラーがミュンヘンで、交響曲第8番(《千人の交響曲》)を世界初演した日です。その時に誰かがiPhoneを持っていて、それをレコーディングしてくれていたら……もしそんなものが残っていたら、どんなことをしても手に入れたいですよ。
自分たちの演奏を録音しCDとして残すことで、N響の長い歴史の中で私たちがどういう演奏をしたかをどなたにもいつでも聴いていただけますし、私自身も、自らの演奏を振り返ることができます。一つのオーケストラがその指揮者や時代によって変化してく、その変遷を辿るのはとても私自身にとっても興味深いことなのです。
そして私たちは、常に最高の音楽を生み出そうと努力していますので、その成果を未来に残しておく責任があるのです。逆に、この時代に録音を残さないというのは、無責任だとさえ思います。私自身もCDやストリーミングによって、新しい録音だけでなく、フルトヴェングラーやフリッツ・ライナーのような過去の録音を聴いて、得るところが多いのです。
── パーヴォさんは過去の録音でいうと、他に朝比奈隆さんの録音をかなり熱心に集められているそうですね。
大ファンです。私の人生に革命を起こしてくれた、最高のブルックナー指揮者の一人ですから。
── そうした過去の演奏を熱心に聴かれていることと、パーヴォさんの伝統にとらわれない新鮮な演奏は、矛盾しないのですよね?
伝統に縛られないでいるためには、その伝統が何なのかを知ることが大切です。出発点として過去のいろいろな演奏を知っているに越したことはない。しかし私は何が何でも伝統と異なることを志向しているわけではなく、あくまで「最終的な結果」が異なっているということなのです。自分の考えをもとに、さまざまなアプローチを試したり、異なる演奏を聴いたり、別の角度から眺めてみたり、さらに考え直してみる――こういう試行錯誤を繰り返して解釈を熟成させ、ようやくたどり着く音楽。最初から伝統と異なるものを作ろうとしているのではなく、あくまでも自分の内部からの有機的な発展の結果として伝統とは異なるものが生まれているだけなのです。
それに朝比奈隆やギュンター・ヴァントによる偉大なブルックナー解釈だけでなく、バーンスタインがニューヨーク・フィルと(1976年に)交響曲第6番をどう演奏したかを知らなければ、この作品の解釈の可能性についての自分の見解を狭めてしまうことにさえなるかもしれません[註:バーンスタインが生涯に一度だけ取り上げたブルックナーの交響曲第6番の演奏は長らくラジオ放送のエアチェック・テープとして流通し、2000年にニューヨーク・フィルに自主制作盤として正式にCD化された。パーヴォが接していたのはそのエアチェック・テープだった]。
── バーンスタインのブルックナーというと、最晩年にウィーン・フィルと録音した第9番が有名ですけれど、第6番ですか!?
バーンスタインは緻密なアナリーゼに基づいた上で本能的にブルックナーを振っているのですが、彼の残された録音から学ぶことは本当に沢山あります。私は決して過去と違う演奏をするのを目的としているのではなく、より良い演奏をするべく努力しているだけなのです。
── パーヴォさんは特定の考えに縛られることなく、常にとてもオープンな感覚を持ち合わせていらっしゃいますが、そのマインドに我々聴衆も刺激を受けているように思います。N響が本当に世界に通用するトップレベルのオーケストラであることを、パーヴォさんを通じて日本のファンが気付かされているように思うのです。
そう言っていただけると嬉しいです。演奏というものは、客観的に判断することが非常に重要です。先入観を持つべきではないですし、ヨーロッパやアメリカのオーケストラであっても、すべての演奏がいいわけではない。思ってもみないところから素晴らしい演奏が生まれることもあります。例えば、最近発売された《ニーベルングの指環》のCDで香港フィルを聴きましたが、素晴らしいオーケストラでした。録音は演奏を客観的に判断するにはうってつけです。
── ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンの指揮する香港フィルによるワーグナーは、世界中で大評判となっていますよね。
20年前はいざ知らず、今は違います。レッテルで決めるのではなく、実際に聴いてみることが重要です。現在は、日本だけではなくアジア各地で演奏技術や音楽解釈の熟成度が高まってきています。演奏者の出身地だけで判断したり、歴史との繋がりだけで決めつけたりするべきではありません。
── 日本のリスナーの中にも、ウィーンやベルリンのオーケストラが最高で、それと異なるからレベルが落ちるという見方を未だにされる方もいるようです。
そんな比較の仕方はまったく意味がないですね。いちいち比較していたのでは、その演奏の本質を見誤るでしょう。演奏を楽しむことすらできません。比較によって、演奏の価値を判断するのは間違っているように思います。誰だって生まれながらにしてパーフェクトなのですから。「自分が最初に聴いた録音と随分違うから、ちょっとどうなのかな?」という判断をする人も多いようですが、そうした過去の記憶と比べてじゃないと価値が判断できないのはもったいない。前向きではないし、もっと虚心坦懐に音楽に接するべきなのです。非生産的でもありますよね。
(通訳:井上裕佳子/取材協力:NHK交響楽団)
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パーヴォ・ヤルヴィ / Paavo Järvi
2019年9月にNHK交響楽団首席指揮者として5シーズン目を迎えたパーヴォ・ヤルヴィは、これまで重点的に採り上げてきたドイツ・ロマン派や北欧、ロシアの作品に加えて、オール・ポーランド・プログラムなど意欲的な曲目にも取り組んでいる。その挑戦する姿勢は、発信力の強さと相まって、N響のみならず、日本のオーケストラ界全体にとって大きな刺激となっている。海外活動にも積極的で、2020年2月から3月にはN響と2度目となるヨーロッパ公演を行う。
エストニアのタリン生まれ。現地の音楽学校で学んだ後、アメリカのカーティス音楽院で研鑽を積み、バーンスタインにも師事。シンシナティ交響楽団、hr交響楽団、パリ管弦楽団などの要職を歴任。現在は、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団芸術監督、エストニア祝祭管弦楽団の芸術監督などを務める。2019/20年シーズンからはチューリヒ・トーンハレ管弦楽団の音楽監督兼首席指揮者に就任。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などの名門オーケストラにも客演し、現代を代表する指揮者のひとりとして、世界で活躍している。
http://www.paavojarvi.com/
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