パーヴォ・ヤルヴィの新たなる挑戦―NHK交響楽団の首席指揮者に就任、未開拓の〈R・シュトラウス管弦楽曲集〉も到着

Mikiki
木幡一誠 
25/10/2015
パーヴォ・ヤルヴィの新たなる挑戦
祝! NHK交響楽団の首席指揮者として就任


Photo: Jun Takagi
パーヴォ・ヤルヴィの新たなプロジェクトが始動した。まさに今秋、2015年のシーズンから彼はNHK交響楽団の首席指揮者に就任する。そしてそのコンビによる『リヒャルト・シュトラウス管弦楽曲集』のレコーディングが並行してスタート。全3枚からなるアルバムの皮切りをなすのは、2月に行なわれた定期公演のライヴ収録による「英雄の生涯」と「ドン・ファン」。これに続いて、彼らが今年10月と来年2月の定期で取り上げる演目から、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」と「ドン・キホーテ」(チェロはトルルス・モルク)のカップリングが第2弾、「メタモルフォーゼン」と「ばらの騎士」組曲と「ツァラトゥストラはこう語った」が第3弾としてお目見え予定である。
広範なレパートリーが並ぶパーヴォのディスコグラフィーでも、シュトラウスは意外にも未開拓のエリアだった。ドイツ・カンマーフィルと組んで、その音楽監督に就任する前年の2003年に「町人貴族」と「デュエット・コンチェルティーノ」を録音していたのみ。フル編成の交響詩は、文字どおり満を持して取り組む対象にも違いあるまい。
 「シュトラウスに最適のオーケストラをずっと探していました」と彼は語る。そしてN響固有のサウンドの中に見てとるのが、「サヴァリッシュシュタインスウィトナーといったドイツ=オーストリアの名匠との共演によって培われてきた、ドイツ音楽の本流をなす演奏様式とロマン派の大曲への親和性」だ。2002年の初顔合わせ以来、たびたび共演を重ねてきたパーヴォとN響だが、とりわけ印象に残るステージとして、2005年6月に演奏したシューマンの「ライン」が彼の口からのぼったことを筆者は記憶する。「非常に難しいスコアだが、これほど見事にこなせる楽団は少ない」と賛辞を惜しまず、今から思えば、どうもその頃からN響と自分の未来像を(少なくとも漠然と)思い描いていたフシすら感じられますね。
 そして演奏にあたっては「他のどんな作曲家にも増して、オーケストラのプレイヤーに総力戦を強いるのがシュトラウスの管弦楽曲」との持論を抱くパーヴォ。その点でもN響が体質として宿す、良い意味での日本的な規律と滅私奉公的な精神が重要な武器となると判断したのだろう。結果として1枚のCDに刻み込まれたシュトラウスの、明晰にして重厚な音楽のたたずまいがすべてを物語る。停滞感のないテンポでぐいぐいと合奏を前進させるあたりはパーヴォの常ながら、「英雄の生涯」の後半から終結部にかけて漂う内省的な“渋み”や、ドイツの深い森を逍遥するような情調は、これまでの彼からはあまり聴こえてこなかった類のものにも思えてくる。
パーヴォにインタヴューしていると、キーワードのように耳にとまるフレーズがある。「余分な衣装を着せられてきた作品を、本来の姿に戻したい」というのだ。ドイツ・カンマーフィルとのベートーヴェンやシューマンに示すアンサンブルの整え方が良い例。過度のスリム化には決して走らず、むしろデトックスが行き届いたと形容したくなるような無駄のないテクスチュアに、最大限の情報量が盛り込まれていく。ダイナミックスやアーティキュレーションへの目配りはときに過激なまで苛烈かつ大胆に映るが、それも楽譜を端的に処理した結果だ。シューマンの交響曲を「虚勢された犬の鳴き声みたいに鳴らしたりはしませんよ!」と、ニヤリとしながら眼光鋭く言い放った彼の顔つきを筆者は忘れない。
 つまりは因習的なスコアの読みを排しながら、細部まで独自の視点で解釈を構築するのが信条。しかし彼は同時に、自ら認める“レコードおたく”でもある。指揮者である父ネーメ・ヤルヴィの影響も大きい。「小さい頃からLPレコードと楽譜に囲まれて育ってきましたからね。そして父に至っては古希を迎えてなお、珍しいレパートリーを見つけてきては嬉々として譜読みに興じ、録音に臨むような人です。自分も負けていられません(笑)」と、ヤルヴィ・ファミリーの絆を語る。エストニア人としてのアイデンティティに抱く誇りは想像に難くないし、キャリアの初期から重要なレパートリーとする同胞の作曲家エリッキ=スヴェン・トゥールや、もちろんアルヴォ・ペルトが、彼のディスコグラフィーに占める位置も見逃せない。ちなみに私事となるが、ペルトの交響曲第3番をエストニア国立響と録音したアルバムがリリースされて間もない頃、彼と初めて取材で会う機会を得た筆者は、そのスコアを持参していって記念にサインをもらったものだ。「この曲が私の父へ献呈されたことをご存知で?」と問うパーヴォに対して首をタテに振ると、非常に嬉しそうでありました。
 閑話休題。そんな彼が、過去の録音遺産に記録された往年の大家の芸も参考にしながら、同時に厳しく客観性を備えた視座で作品に向き合い続ける。あくなき探究心と豊富なアイデアこそは、演奏の独自性を支える最大の要素だ。2006年から2013年まで首席指揮者の地位にあった(現在は圭冠指揮者)フランクフルト放送響とは、楽団の機能美をフルに生かしながら斬新なブルックナーを世に問うてきた。「宗教儀式のように荘厳で重々しいだけが彼の交響曲ではない」とばかりに、その音楽には驚くほどの人間味と、しなやかなまでの(!)肉体感が備わる。まさに新時代の作曲家像。映像に収められた同オーケストラとのマーラー交響曲全集でも、作曲者の伝記的エピソードを踏まえたような情緒的解釈とは一線を画しながら、アンサンブルの純度の高さと情感の深さの両面を掘り下げていくアプローチで気を吐くパーヴォである。
 2010年から音楽監督をつとめてきた(2016年退任予定)パリ管との最新盤がラフマニノフというのは意表をつく選曲かもしれないが、「チャイコフスキーストラヴィンスキーの昔から、パリの楽壇とロシアは密接な関係にあったし、私の目からすればまったく違和感がありませんね。そしてラフマニノフのオーケストレーションにとって、色彩感とソロイスティックな輝きを備えたパリ管の演奏スタイルはまさにベストマッチ! 個人的には第3交響曲に惹かれるものが大きい。ラフマニノフの最高傑作という以上の内容を持つ偉大なシンフォニーです」という言葉は説得力に富み、演奏もまさに有言実行。
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 という具合に、とことん新鮮に響くのにオーソドックスな構えを失わないという、ギリギリのバランス感覚を保つ演奏スタイルも、リスクをあえて恐れぬパーヴォ流。強靭な表現意志に支えられながら、合奏の肌触りは柔軟。それが世界のオーケストラから引く手あまたになる理由だろう。2001年から2011年までつとめあげたシンシナティ響の音楽監督時代に、同団を全米屈指のレベルまでビルドアップした功績は今も語り種となっているほどだ。そのシンシナティ響との来日ステージ(「幻想交響曲」の大変な名演を聴かせてくれた)の終演後にインタヴューの機会を得た際、オーケストラを“鍛える”メソードに関する彼の見解を尋ねてみたことがある。その答えは……。
 「(楽員に対する)要求は簡潔に。そして結果が得られるまで諦めずに同じことを言い続ける」
 あたりまえのことを積み重ねていった細部に、神が宿る。これもパーヴォらしい言葉だと思う。ジェントルで落ち着いた物腰の中に包み込まれた強烈な自負の念。そこから伝わる表現者としてのエネルギー。おまけに意外なほど(失礼!)、その一挙手一投足や声色に、ゾクゾクするようなセックス・アピールまで備わる。ほれぼれするほど美しい弧と円運動の軌跡を描くバトン・テクニックによってオーケストラから引き出す響きと、そんな人格が見事なまでにオーバーラップする。N響とのコンビがスタートする今シーズン以降、そんな彼と日本の聴衆との関係はさらに深まること必至。活動拠点をアジアにまで広げたパーヴォにとっても、新たな始動のときがやってきたのだ。


PAAVO JÄRVI(パーヴォ・ヤルヴィ)[1962-]
指揮者。父は有名な指揮者ネーメ・ヤルヴィ。生地の音楽学校で打楽器と指揮を学んだ後、1980年にはアメリカに渡りカーティス音楽院に入学。ロスアンジェルス・フィルレナード・バーンスタインに学ぶ。フランクフルト放送交響楽団首席指揮者など、数々の指揮者を歴任し、現在はパリ管弦楽団音楽監督、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンの芸術監督、故郷タリンに本拠を置くエストニア国立交響楽団の芸術顧問を兼任。今年9月から3年間はNHK交響楽団の首席指揮者に就任。

寄稿者プロフィール
木幡一誠(こはた・いっせい)

音楽ライター。1962年生まれ(パーヴォと同い年)。主な仕事はCDブックレット解説・翻訳、演奏会プログラム、各種媒体でのインタヴュー記事。


LIVE INFORMATION
パーヴォ・ヤルヴィ、N響とシュトラウスを語る~トーク&サイン会 開催決定!
○10/24(土)18:30スタート タワーレコード渋谷店7F
tower.jp/store/event/2015/10/003003
パーヴォ・ヤルヴィ(指揮)NHK交響楽団
www.nhkso.or.jp/
○10/17(土)15:00開演 第5回 NHK交響楽団 いわき定期演奏会
会場:いわき芸術文化交流館アリオス 大ホール
R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」作品35他 
トルルス・モルク(vc)ヴィオラ:佐々木 亮(va)
○10/23(金)19:00開演/24(土)15:00開演 第1819回定期公演Cプログラム
会場:NHKホール
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 作品77他
五嶋みどり(vn)
○12/22(火)19:00開演/23(水・祝)15:00開演/25(金)19:00開演/26(土)15:00開演 ベートーヴェン「第9」演奏会 
会場:NHKホール
ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱つき」
森 麻季(S)加納悦子(A)福井 敬(T)妻屋秀和(Br)国立音楽大学(合唱)
○12/27(日)14:00開演 かんぽ生命 presents N響第九 Special Concert
会場:サントリーホール
ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱つき」他
森 麻季(S)加納悦子(A)福井 敬(T)妻屋秀和(Br)国立音楽大学(合唱)篠崎史紀(vn)山口綾規(org)
○2016年 2/6(土)18:00開演/7(日)15:00開演 第1829回定期公演Aプログラム
会場:NHKホール
マーラー:亡き子をしのぶ歌 他
マティアス・ゲルネ(Br)
○2/12(金)19:00開演/13(土)15:00開演 第1830回定期公演Cプログラム
会場:NHKホール
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
ジャニーヌ・ヤンセン(vn)
○2/17(水)18(木)19:00開演 第1831回定期公演Bプログラム
会場:サントリーホール
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54 他
カティア・ブニアティシュヴィリ(p)
http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/8596

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