Paavo Järvi

tower.jp 
 木幡一誠 
2014/01/09
参謀も集えば兵士も集う 彼こそは指揮界の天下人
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まさに情報化社会のマエストロ。演奏コンセプトは入念なリサーチと譜面の読みに支えられ、それを音にする 媒体としてのオーケストラを完璧に統率し、斬新にして説得力の高い解釈を世に発信し続ける。室内管弦楽団の機動力の高さと響きの透明感をフルに生かした シューマンも、シリーズの最終巻に至った。コンチェルトシュトゥックにはベルリン・フィルの首席奏者シュテファン・ドールを1番ホルンに招くなど、話題性 も豊富である。
「ここでは彼が残したオーケストラ作品でも、非常に特徴的なものを組み合わせてみたいと思いました。特に 《序曲、スケルツォとフィナーレ》は興味深い存在。内容的には“ミニ・シンフォニー”と呼べるし、単なる習作の域にもとどまっていない。スケルツォ楽章は 典型的なシューマンです。リズム・パターンの執拗な反復がもたらす律動性と、それにもかかわらず移り気で安定しない気分。《クライスレリアーナ》のような ピアノ曲にも通じますね!」
この作曲家の「偏執狂的な面や躁鬱気質を掘り下げていく」視点の一貫性も、交響曲第4番で大いにモノを言う。実に鮮やかな明と暗の対比感。それが流れるようなテンポ設定で繰り広げられていく。
「第1楽章の序奏でも大きなパルスのうねりを維持することが重要。1拍ごとを重く刻まず……(歌ってみせ る)。終楽章の推進力を保つ点でも同じです。ある種のワーグナー解釈から影響を受けて因習化して肥大化を遂げた“ヘビー”な音楽作りというものが、この手 のレパートリーにはつきまとう。余分な衣を着せられてしまったシューマンを、私はあるがままの姿に戻したい。ブルックナーも然りですが」
フランクフルト放送響とのブルックナー・シリーズも着々と進行中だ。最新作の交響曲第4番では、普通に用 いられる1878/80年稿に対して、いわゆる改訂版に基づく1888年稿のスコア(協会全集版も刊行済)も部分的に採用。それは彼が「自分なりに最良の 形を追求した」結果であり、終楽章にシンバルの一撃を追加したというレベルの話ではない。
「ブルックナーが改訂を重ねた作品に関して、客観的に“これが絶対”というヴァージョンは成立しえないの ではないかと思います。しかしディテールは、あくまでディテールでしかありません。このシンフォニーで特に重視したのは、ドイツ語でいう“フリーセント” な流動感。第1楽章でもブルックナーは“動的に”と記している。それを音楽の本質と結びつける過程でテンポやフレージングが決定していくのです。ハイドン にまで起源をたどれるロジカルな交響曲作法を、私はブルックナーに見出したい。音楽を宗教的儀式に作り替えるのではなく(笑)」
こうした観点を個別の楽曲に反映させる上でも、つまりレパートリーの“振り分け”を行なう点でも、彼が もっか手中に収めているオーケストラは本当に羨ましいほどの顔ぶれだ。2010年から首席指揮者をつとめるパリ管弦楽団と去る11月に果たした来日公演で は、ドビュッシーやラヴェルやサン=サーンスを軸にすえたプログラムを披露。ヴィルトゥオーソ・オーケストラと辣腕コンダクターの相互作用による圧倒的な 成果が聴衆の度肝を抜いた。CDの企画はまだ練っている段階のようだが、映像で一足先に彼らの美演を愛でることができる。《春の祭典》と《火の鳥》と《牧 神の午後への前奏曲》という、ディアギレフのバレエ・リュスゆかりの作品集。パリの舞台にひときわ映えるプログラムだ。
ヤルヴィの次なるターゲット? それはドイツ・カンマー・フィルと組んだブラームス。2014年の12月には大掛かりな来日公演が予定されている。
「普通の認識と異なるかもしれませんが、ブラームスのオーケストラ書法は本当に独創的で凝りまくってい る! 金管楽器の用法ひとつとっても、バロック以前にまでさかのぼる伝統的な背景を踏まえながら、ロマンティックな音楽の中へ巧みに組み込んでいる。彼の譜面は 確かに“マ・ノン・トロッポ”という発想標語をはじめとして、抑制された表現を志向しているように見えます。しかしそれは内に秘めた熱っぽさの裏返しでは ありませんか?」
やはり新鮮にして(ときに過激なまで!)啓示に富む作曲家像を描き出してくれそうなパーヴォ。既にブラー ムス学者(ヘンレ版の交響曲編纂者)ロバート・パスコールを招いたワークショップもオーケストラを交えて開催し、入念な準備を積んでいる由。優れた参謀も 集い、優秀な兵士としての楽員も集う、彼こそはまさに指揮界の天下人という感じですね。


http://tower.jp/article/interview/2014/01/09/paavo

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