Thursday, December 01, 2016


NHKSO.or.jp
01/12/2016



「『管弦楽部門』での最優秀CDに選んでいただけたということは、まさに私たちの演奏活動の成果を認識いただけたことの証左であり、とても重要なことと考えています。」


「N響とのシュトラウスの演奏は、録音としての成果が私の期待を遥かに上回るものであり、個人的に嬉しく思ったのは、N響の楽員のみなさんがこれまでトライしたことがなかったようなアイデアを柔軟に受け入れてくれて、演奏や解釈についての新たな提案や話し合いに非常に積極的であったことでしょう。私たちは素晴らしい『チーム』になったのです。」


今後は「R.シュトラウス交響詩チクルス」の第3弾(ツァラトゥストラはこう語った、ほか)のリリースも予定され、また2017年2月末から3月には、ベルリン、パリ、ロンドン、ウィーンなどヨーロッパ主要7都市を巡るツアーが行われます。さらに充実したパーヴォ&N響の活動にご注目ください。


2016年度 第54回レコード・アカデミー賞 受賞ディスク一覧

http://www.ongakunotomo.co.jp/m_square/record_academy_total/2016.html


ソニーミュージック インフォメーション

http://www.sonymusic.co.jp/artist/PaavoJarvi/info/475906


パーヴォ・ヤルヴィ N響指揮公演

http://www.nhkso.or.jp/news/17075/?utm_content=buffer77078&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

Tuesday, November 29, 2016

【対談】パーヴォ・ヤルヴィ[指揮者]×池辺晋一郎[横浜みなとみらいホール館長|作曲家]


Yokohama Minato Mirai Hall
24/11/2016

ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の芸術監督として「横浜音祭り2016」のクロージングを飾り、そしてNHK交響楽団の首席指揮者として、2月に再び横浜みなとみらいホールに登場するパーヴォ・ヤルヴィさん。
館長の池辺晋一郎との対談をお贈りします。  

大好きなホールです



池辺晋一郎;最初に横浜みなとみらいホールに登場していただいたのは、2006年。ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団 とともに行った「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会」でした。あれから10年、フランクフルト放送交響楽団(現 hr交響楽団) 、シンシナティ交響楽団、パリ管弦楽団、といろいろなオーケストラといっしょに、ほぼ毎年のように来てくださいました。パーヴォさんにとって横浜みなとみらいホールとはどんなホールでしょうか?




パーヴォ・ヤルヴィPaavo Järvi;お世辞などではなく、本心から日本で最も気に入っているホールです。横浜で生まれた企画、ドイツ・カンマーフィルとのベートーヴェン・チクルスは、あれ以来、世界中をまわりました。そしてhr交響楽団とのブラームス・チクルスもそう。何か大切なことを始めるのにふさわしい場所だと感じています。10年間という年月、ホールのスタッフの方々にはいつもサポートしていただいて、信頼を寄せています。どこか「我が家」のようにも感じるほっとする場所でもあります。

池辺;それは嬉しいですね。今度の11月27日のドイツ・カンマーフィルの公演はあっという間にチケットが予定枚数終了となってしまいました。熱心な横浜の聴衆がどれだけ待ち望んでいたか窺い知れます。

PJ;また特別な場所に戻って来れて、横浜のみなさまとお会いできるのが楽しみです。

池辺;プログラムにシューマンの《歌劇「ゲノフェーファ」序曲》を取り上げてくださり、とても嬉しく思います。ぜひシューマンのオーケストラ作品を取り上げてほしいと思っていたものですから。以前に、「ブラームスの管弦楽作品が一番優れているとよく言われるが、シューマンも劣らず素晴らしいと思う」とおっしゃったことがあって、共感していたのです。

PJ;そうです、シューマンは大好きな作曲家で、彼の管弦楽曲は軽んじられることがあることを残念に感じていたものですから、今回は喜んで取り上げたのです。

池辺;同感ですね。《4本のホルンと管弦楽のためのコンチェルトシュテュック》、《序奏とアレグロ・アパッショナート》などシューマンのオーケストレーションは非常に素晴らしいのに、あまり演奏される機会がありませんよね。ぜひこれからもこうした名曲を取り上げていってほしいです。

オーケストラの個性と向き合う

池辺;いろいろなオーケストラといっしょに来てくださいましたが、指揮者の立場からそれぞれのオーケストラの性格はどのように把握していらっしゃるのですか?

PJ;それぞれ成り立ちと特徴が違っています。ドイツ・カンマーフィルは私にとって特例とも言える存在です。完全に民主的に自主運営されており、メンバーひとりひとりがオーケストラの経営者なのです。組合もなく、社会保障もありません。演奏曲目、指揮者、プロジェクトの決定権を持っていますが、その決定に責任を負わねばなりません。単なる好き嫌いで曲目を選ぶことはできないのです。オーケストラがいかに生き残るか、ということに意識的です。それが演奏にも反映され、リハーサルも常に真剣そのもので、どういう演奏をしたらいいか、ひとりひとり意見をはっきりと言い、真摯に向き合います。まるで室内楽のリハーサルのように全員が発言します。収益性を常に意識して取り組んでいますから、オーケストラの個性や利点もよく認識しており、ベートーヴェンなどの演奏法に長けています。

池辺;なるほど、責任も伴う自主運営なんですね。そのことにパーヴォさんも共感していらっしゃる。では同じドイツのもうひとつのオーケストラ、hr交響楽団にはどんな特徴がありますか?

PJ;伝統的な構造を持っていて、団員は放送局の職員であり、オーケストラは税金で運営されています。団員たちはコミュニケーションを取るのが得意。放送オーケストラとしての任務のために定期演奏会を行っており、レパートリーには柔軟性があって、後期ロマン派をメインに扱いながらも、現代音楽でもバロックでもこなします。録音に慣れており、精緻で正確な演奏をして、アンサンブルが見事です。

N響との絆

池辺;それはN響と似ている点もありますね?では首席指揮者に就任されて2年目のN響とはどう関わっていらっしゃるのですか?



PJ;今日は、ラフマニノフの交響曲第3番のリハーサルを行ってきたのですが、素晴らしかったです。奥深い響きで、情感が豊かで、美しい色彩のニュアンスに満ちています。初めて客演したのは10年以上前ですが、音楽に対する真摯な態度、クリエイティブでありながらも真面目に取り組む姿勢にまず驚かされました。今でも感心しています。偉大なオーケストラはそれぞれの個性を自ら認識していますから、それによく耳を傾けていっしょにどんな音楽がつくれるのかを考えながら向き合っています。

池辺; 2月には「N響・横浜スペシャル」と銘打った公演で、そのN響とともに演奏してくださいますね。マーラー《交響曲第6番「悲劇的」》を取り上げた理由はなんでしょう?

PJ; 首席指揮者になって2年目にして、気がつくと第1番、2番、3番、8番、とマーラー・チクルスのようにマーラーの交響曲を演奏してきました。私自身は子どもの頃からマーラーの虜でしたし、オーケストラもマーラーを得意としていることがすぐにわかりましたので、マーラーを演奏することでお互いの絆がどんどん深まりました。ですから、《第6番》を取り上げて演奏することで、N響といっしょにマーラーの音楽世界をつくり上げるところをお聴きただきたいと思っています。

また、N響との初めてのヨーロッパツアーが、横浜みなとみらいホールでの公演の直後にスタートします。そのプログラムでもあるのです。マーラーの《第6番》の演奏で、ヨーロッパの聴衆にもN響の精密なアンサンブルの素晴らしさをアピールできるでしょう。

武満の人物像を知りたい

池辺;マーラーに組み合わせるのは武満徹の《弦楽のためのレクイエム》ですね。武満作品はこれまでにも演奏されていますか?

PJ;ええ、2016年9月の定期公演で2曲を演奏しました。とても難しい複雑な音楽ですが、素晴らしい楽曲ばかりですね。マーラーの「悲劇的」の前に武満さんの「レクイエム」を演奏するのは、関連性が感じられるふさわしい選曲だと思っています。

池辺;私は若いころに武満さんのアシスタントとして、すぐそばでどんなふうに作曲をするのかをつぶさに見ていました。誰よりも作曲家としての武満さんの素顔を知っている人間でしょうね。

PJ;先日、お嬢さんの真樹さんと対談する機会があり、そうお聞きしたので、ぜひ詳しくお話を伺いたいと思っていました。



池辺;そうでしたか。それはとても嬉しいですね。真樹さんからもどんどん武満さんの実像を話してほしいと頼まれています。私も、亡くなって20年たって世の中が武満さんのことを神格化している風潮が気になっているのです。

PJ;武満作品は今後もミニシリーズとして取り上げていこうと構想していますから、武満さんのお人柄について、ぜひ機会を改めてじっくりお伺いしたいです。

池辺;それはぜひ実現しましょう。

祖国エストニアのこと

池辺;パーヴォさんはエストニアのご出身ですね。お父様は有名な指揮者のネーメ・ヤルヴィさんでいらして、妹さんも弟さんも音楽家として活躍してらっしゃる。エストニアにいらしたころはどのような家庭環境でしたか?幼い頃はご兄弟間にライバル意識はあったのですか?

PJ;父はとても包容力があり、温かい人柄でした。一方、音楽に対する情熱とエネルギーはとても激しいものでした。父は私たちに何かを強制するようなことは一切ありませんでした。妹のマーリカ(フルート奏者)、弟のクリスチャン(指揮者)、3人の兄弟それぞれが音楽家になったのは、父の音楽への情熱を間近に見て、父がそれだけのエネルギーを注ぐ音楽家になりたいと自然に思えたからです。性格も年齢も違うので兄弟同士で競うようなことはまるでなかったですよ。

池辺;素晴らしいご家庭だったのですね。ところで、現在のエストニアの音楽事情について教えていただけませんか?再来年(2018年)、私の合唱作品を演奏するコンサートがあるためにエストニアを初めて訪問することになったのです。

PJ;ソ連崩壊から十数年たち、まったく様相が変わりました。かつてはロシアの影響が強く、演奏家もモスクワかキエフにしか留学できなかったのですが、ロンドンでもパリでも好きなところで勉強できるようになり、流派や師事する先生も自由に選べるようになりました。特に管楽器の分野に素晴らしい若手が出てきています。合唱は伝統的に盛んです。最近になり3つも新しいコンサートホールができ、4つ目が首都タリンに完成します。私もパルヌ音楽祭を創設し、エストニア祝祭管弦楽団というオーケストラを作りました。エストニアに優れた音楽家を集めてしっかりとしたネットワークを作るのが目的です。小さい国ですから政府は芸術がアイデンティティの確立に役立つと認識しており、芸術支援に力を注いでいます。ですから音楽を取り巻く環境は良好ですよ。

池辺;それは安心しました。パーヴォさんの母国エストニアを訪れるのがとても楽しみです。そしてパーヴォさんがエストニアのオーケストラを日本で指揮するのをぜひ聴きたいですね。

N響との未来像

池辺;さて、これからのN響との未来像は、そして日本での活動はどうなっていきそうですか?

PJ;光栄なことに、N響の首席指揮者の任期が2021年まで延長になりました。日本はもうすでに私の音楽人生にとって主要な活動の場になっています。

池辺;ぜひずっと日本を活動拠点の一つに、そしてもちろん世界中でのさらなる活躍を期待しています。



※編集部注;この対談は2016年9月28日に行われました。

http://www.yaf.or.jp/mmh/blog/2016/11/post-5.php

Monday, November 28, 2016

Dirigent Paavo Järvi : "Paralysiert vor Angst"


südwest presse.de
BURKHARD SCHÄFER
17/04/2014

Der Dirigent Paavo Järvi ist der Spross einer estnischen Musikerdynastie und auf dem ganzen Erdball zuhause. Ein Gespräch über die Macht der Musik und Estlands Angst vor der russischen Politik.


In welchem Alter war für Sie klar, dass Sie Musiker werden wollten?

PAAVO JÄRVI: Nicht nur Musiker! Von meinem vierten Lebensjahr an wusste ich, dass ich auch ein Dirigent werden wollte. Ich hatte zu dieser Zeit ja noch nicht mal eine wirkliche Idee davon, was ein Dirigent überhaupt macht. In diesem Alter hatte mein Wunsch nur damit zu tun, wie ich meinen Vater sah. Mit welcher Liebe und positiven Aufgeregtheit er über Musik sprach und mit ihr umging. Dazu hatte er eine Fähigkeit, diese Liebe zu vermitteln. Er sagte immer "hör da zu", oder "ist das nicht großartig?". Und als ich in das Alter kam, in dem ich darüber nachdenken konnte, was mein Berufswunsch ist, war für mich klar, dass ich immer das Gleiche sein wollte wie er.

Wie lange haben Sie in Ihrer Heimat Estland gelebt?
JÄRVI: Ich bin dort aufgewachsen bis zum Alter von 17 Jahren. Das war während der Zeit der sowjetischen Besatzung.

Haben Sie unter den russischen Besatzern gelitten?
JÄRVI: Ehrlich gesagt, zu dieser Zeit - wir haben Estland 1980 verlassen - war ich noch ein Jugendlicher. Ich bin 1962 geboren. Ich war ein Student in der späten Breschnew-Ära, und diese Art von Repressionen, von denen man aus der Stalin-Zeit noch hörte, existierten zu diesem Zeitpunkt nicht mehr. Aber die basalen sowjetischen Werte waren natürlich noch da. Die Grenzen waren geschlossen, die Sprache war unterdrückt, die Medien waren kontrolliert. All diese Dinge eines totalitären Regimes waren tagtäglich lebendig - das, was wir jetzt in einer wachsenden Anzahl von Staaten wieder sehen.

Haben Sie Angst vor der Krim-Krise? Haben die Balten Angst?

JÄRVI: Angst ist gar nicht das richtige Wort. Sie sind in Schrecken versetzt, sie sind direkt paralysiert vor Angst. Und dies aus zwei Gründen. Erstens: Die Realität, die in der Ukraine und auf der Krim ihren Lauf nimmt. Zweitens: Die Ex-Sowjetländer realisieren nun in großem Maße - ich möchte nicht das Wort Desillusionierung benutzen -, dass die westlichen, demokratischen Werte nicht wirklich auf allen Gebieten existieren. Sie merken, dass sie keinen Schutzschild besitzen. Sie dachten, die westliche Welt würde sie schützen und nun müssen sie erkennen, dass dies gar nicht der Fall ist. Und so herrscht eine spezielle Atmosphäre der Angst, in der sie wahrnehmen, dass sie in Gefahr schweben und dass man auf die Alliierten nicht zählen kann.

Vor 25 Jahren schafften die Esten, Letten und Litauer die singende Revolution. War und ist das die eigentliche "Waffe" der Balten?
JÄRVI: Auf alle Fälle! Und das war eines der unglaublichsten und wundervollsten Geschehnisse unserer Region, dass es die Musik und das Singen waren, die uns geschützt und vereint haben. Wenn man zurückschaut, ist es unglaublich symbolisch. Zu der damaligen Zeit war unser baltisches Gebiet, das eine Ex-Sowjet-Region ist, in dieser Sache geistig vereinigt und hat nicht mehr an eine autokratische Diktatur geglaubt. Und nun, 25 Jahre später, hast du eine Situation, wo Russland wieder in Länder einmarschiert. Und die Leute im Westen würden dazu sagen, ach nein, das wird niemals passieren, das ist eine andere Welt. Und wir alle wollen glauben, dass das wahr ist, aber ich fürchte, das ist es nicht.

Die aus der ehemaligen Sowjetunion stammende Komponistin Sofia Gubaidulina wünschte sich nach dem Zusammenbruch der Sowjetunion eine Verbrüderung. Ein Wunsch, der bei den baltischen Musikern mit Skepsis gesehen wird.
JÄRVI: Ich bin mir sicher, wenn Sofia Gubaidulina sagt, "ich wünsche mir, dass wir alle Freunde und Brüder sind", dann meint sie nicht, dass wir ein Teil des großen russischen Reiches sein sollen. Gubaidulina ist nicht russisch, sie ist tartarisch. Es ist wirklich eine absolut verständliche Wunschvorstellung eines Menschen, besonders eines Künstlers, so nah wie möglich mit den Leuten seiner Region geistig verbunden sein zu wollen und im Endeffekt nicht nur in seinem Umfeld, sondern überall auf dem Globus. Aber diese Reaktion der restlichen Welt hat enorm mit der Angst vor russischer Okkupation zu tun. Denn sowohl die russische ideologische Besatzung als auch die imperialistische Okkupation waren ein Albtraum für alle russischen Nachbarn. Meine Mutter ist Russin, ich liebe Russen. Ich mag russische Musiker, ich habe mehr russische Musiker-Freunde als andere. Mein Problem waren niemals die Russen oder die russische Kultur. Das russische imperialistische Denken ist es, das mich bestürzt.

Was beunruhigt Sie am meisten?

JÄRVI: Wenn auf diese Art ungedeckte Kräfte in ein anderes Land gehen und dort ein Referendum erzwingen, hat das nichts zu tun mit den Wurzeln des großen russischen Reichs. Das ist das beste Beispiel für KGB-Taktiken, benutzt in einer naiven westlichen Welt. Die beobachten, diskutieren und meinen, sie müssten Meetings abhalten. Das ist eine typische westliche Reaktion, und da ich nun selbst seit Jahren ein Westbewohner bin, kann ich beide Seiten nachvollziehen. Ich weiß aber auch, wie diese Art der Naivität von Putin benutzt werden kann, um das alles durchzusetzen, was er will. Auf der anderen Seite sehe ich, wie Syrien sich selbst killt und in Afrika töten sich die Leute gegenseitig - wir haben diese völlig kranke Welt. Haben wir irgendetwas aus der Geschichte der Menschheit gelernt? Nein! Alles geht nur um Machtspiele, Gewalt und finanzielle Interessen. Das ist enttäuschend.

http://www.swp.de/ulm/nachrichten/kultur/dirigent-paavo-jaervi-_-_paralysiert-vor-angst_-8269774.html

Thursday, November 24, 2016

【學英語片】愛沙尼亞指揮家賈維 「提問,才有發展」

m.appledaily.com.tw
23/11/2016




愛沙尼亞指揮家賈維參加2016新舞臺藝術節,首次來台演出。林林攝



愛沙尼亞指揮家帕佛.賈維(Paavo Järvi)率領德國布萊梅德意志室內愛樂管弦樂團(Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen),來台參加2016年新舞臺藝術節,周日(20日)在台南、周二(22日)在台北與法國鋼琴家艾馬爾(Pierre-Laurent Aimard)共同登台演出。他在周一(21日)接受《蘋果》專訪,表示家國的根源很重要,但不能做傳統的奴隸。

我認為傳統是必要的

I think tradition is essential

傳統很重要

tradition is important

當傳統的奴隸

being a slave to tradition

才是危險的事情

is what's dangerous

如果你不質疑

if you don't question

你為什麼做一些事情

why you do something

你就是去做

and you simply do it

因為有人

because somebody

你之前有個大師做過了

an old master before you did it

這是條有一點危險的路

that's a little bit a dangerous road

因為

because

如果你停止提問題

if you stop asking questions

你就無法發展

you can’t develop

但是不知道你的傳統

but not knowing your tradition

也不是對的

is also not right

所以人兩面都需要有

so one needs to have both sides這是完全可以理解的

it's totally understandable

如果有人必須要離開

if somebody has to leave

融入另外一個文化

and assimilate in another culture

但這是相當必要的事情

but there is something essential about

要意識到你的根

somehow being aware of your roots

我認為這類似

I think it is similar to

一種基本的需要或慾求

a basic need or desire

知道你的父母是誰

to know who you parents are

某種程度能夠連結到

and to be able to relate somehow to

你來自的地方

the place where you come from

或是你成長的地方

or brought you up帕佛‧賈維2015年獲得兩大古典音樂雜誌,英國《留聲機》(Gramophone)雜誌和法國《音叉》(Diapason)雜誌,一致推崇為「年度最佳藝術家」,在當今古典樂壇地位崇高。他出身自音樂家庭,父親尼姆.賈維(Neeme Järvi)就是當今最受人景仰的指揮大師之一,而他的弟弟克利斯欽.賈維(Kristjan Järvi)是指揮家,妹妹瑪莉卡.賈維(Maarika Järvi)是長笛家。他在18歲那年,父親帶著全家離開當時由蘇聯統治的愛沙尼亞到美國。從2010年開始,賈維每年和家人回到愛沙尼亞溪南的濱海城市派爾努(Pärnu)舉辦派爾努音樂節,兩個女兒也回隨行。他接受專訪時,表示指揮並不是透過讀書、吸收知識傳達,而是跟著大師學習,而他有幸能跟父親一起學習,是難得的寶藏,他至今仍會與父親討論音樂。他認為,比起幼時希望指揮各大知名樂團,他現在更想要與固定的樂團培養默契、深耕共識。他目前也擔任日本NHK交響樂團(NHK Symphony Orchestra)的首席指揮,表示希望能夠扮演大使的角色,用文化的力量改善日本與周邊亞洲國家的關係。(蘇立/台北報導)


http://m.appledaily.com.tw/realtimenews/article/new/20161123/995843/?utm_source=FB&utm_medium=MWeb_Share&utm_campaign=http%3A%2F%2Fwww.appledaily.com.tw%2Frealtimenews%2Farticle%2Fnew%2F20161123%2F995843%2F

Monday, November 14, 2016

Technically faultless: terrific Brahms from Kavakos, Järvi and the Philharmonia


bachtrack.com
David Truslove
16.11.2O16


Paavo Järvi
© Kaupo Kikkas


The latest concert in the Discover Carl Nielsen series curated by Paavo Järvi and the Philharmonia Orchestra captivated the ear with music that was strikingly original, magisterial and downright quirky. That might aptly summarise Nielsen’s Symphony no. 2 “The Four Temperaments”, but it could just as easily encapsulate Haydn’s Symphony no. 102 in B flat major, written little more than a century earlier and which began the concert.

n the Haydn, Järvi drew a wonderfully energetic response from the Philharmonia, its opening Vivace brimmed with vitality, and period-instrument trumpets and timpani brought additional frisson. Phrasing and articulation were crisply delivered and Samuel Coles’ mellifluous flute teasingly ushered in the movement’s false recapitulation. Järvi enjoys sharply contrasted dynamics (as heard in May with his idiosyncratic account of no. 83), and this performance, with the softest of pianissimos in the Adagio, was no exception. The Minuet was all swirling elegance, with Haydn saving the best to last in a whirlwind Finale. Here, Järvi and the Philharmonia struck gold, finding every nugget of fun in Haydn’s effervescent score.

Leonidas Kavakos then joined the Philharmonia for Brahms’ Violin Concerto in D major, and gave an expansive performance that will linger long in the memory. This Greek violinist has already won numerous garlands, as well as 2104 Gramophone Artist of the Year, and it’s not hard to hear why. Technically faultless, this was a performance where Kavakos combined beauty of tone and deeply-felt utterance, communicating both with ease. Never pushing too hard in assertive passages, and always casting a clean line through its lyricism, this account verged on the dreamy such was its leisurely tempo and sense of tranquillity. Only an unmusical pedant might have taken issue with the dynamic and tempo fluctuations in the opening movement, but the pacing was superbly controlled and the balance between soloist and orchestra perfectly achieved. For the cadenza’s flights of fancy (Joachim’s) Kavakos held us in the palm of his hand.

Set in motion by Gordon Hunt’s stylish oboe playing, the Adagio was even more broadly conceived, but mannered in its halting momentum. The Finale was powerful but not forced, its rhythms taut yet fleet of foot. Under Järvi’s clear direction this was an exceptional performance – a superb partnership from world-class violinist and orchestra. Afterwards Kavakos gave us the “Gavotte en Rondeau” from Bach’s E major Partita (BWV1006) poised and classy.

Then it was Nielsen’s Second Symphony, inspired, supposedly, following a day imbibing in a country pub where he had encountered a crude painting depicting the ancient Greek ‘Four Temperaments’ (choleric, phlegmatic, melancholic and sanguine) that were to provide titles for the symphony’s four movements.

The opening was suitably irascible, with brass players not holding back in their cavorting. At about 10 minutes Järvi’s account was more expansive than others, but nonetheless compelling in its rhythmic bite. In the phlegmatic waltz that forms the second movement there was a tendency to apply the breaks once too often; its languor appropriate and allowing plenty of orchestral detail but giving little sense of sweep. This expressive approach continued in the Andante malincolico, its trajectory now beautifully shaped, with the Philharmonia strings on fine form. The optimism of the Finale was well caught, its mayhem nicely captured by uninhibited brass and robust timpani playing, the whole capped by a magisterial march. With Nielsen as good as this I look forward to the next instalment of the Discover Carl Nielsen series.

https://bachtrack.com/fr_FR/review-nielsen-jarvi-kavakos-philharmonia-london-november-2016

Philharmonia Orchestra/Paavo Järvi – Haydn Symphony 102 & Nielsen’s Four Temperaments – Leonidas Kavakos plays Brahms ... Music of Today: Schöllhorn, Birtwistle, Finnis, Jolas


classicalsource.com
Antony Hodgson
10.11.2016

Paavo Järvi’s series of Philharmonia Orchestra concerts featuring the Six Symphonies of Carl Nielsen uses a successful plan of including a Haydn Symphony and also a Concerto (including both of Nielsen’s), which results in a generous amount of music. Haydn 102 – one of his greatest Symphonies – made the ideal commencement here.

Järvi afforded respect to the 18th-century in his lateral division of first and second violins, the use of shallow timpani hit with hard sticks and the employment of full-length ‘period’ trumpets, the mellow tone of which is more suitable than that of the later shorter, narrow-bore instruments. The interpretation itself was more ‘modern’ however – grace-notes were of the short variety, the horns in B-flat were used in the lower octave – I missed their wonderful flaring effects in the Minuet and in the Finale as heard recently from Dennis Russell Davies, Anthony Halstead and Simon Rattle. I did however like Järvi’s measured tempos, the fierceness of the dramatic timpani crescendo in the first movement, the gentle pianissimos in the lovely Adagio and the vitality of the Finale. The decorations on repeats in the Trio of the Minuet were doubtless in recognition of ‘earlier’ style. To my ear they sounded merely quaint but no matter, a personal view of fashion is always welcome.

Brahms’s Violin Concerto from Leonidas Kavakos was very special. Often reviews deplore a spacious tempo for the first movement. Here the speed was time-taken indeed, but in the context of this interpretation it was ideal because Järvi never let the intensity slacken; the magically quiet sections, featured Kavakos sensitively weaving melodies through the hushed accompaniment yet the underlying impetus was not hindered. Above all the violinist’s tone was rich, his playing elegant and unforced, the sudden outbursts that Brahms uses for contrast firmly controlled; Kavakos made them a strong affirmation of a new theme rather than a challenge. Kavakos included Joachim’s cadenza. The beauty of tone in the Adagio was breathtaking; was Kavakos perhaps using the 1724 Stradivarius that he is known to own? The orchestral colouring was subtle and rich and was enhanced by the delicate beauty provided by oboist Gordon Hunt. The Finale was strong in rhythm; the conventional Hungarian ‘lift’ was given to the last note of bar 3 and Järvi hinted at the effect each time the phrase recurred. This was an inspired account, the quiet valedictory section leading to the ultimate bars was done so graciously that there was a sense of sadness knowing that it was about to end.

One scarcely needed an encore but Kavakos gave a charming rendering of ‘Gavotte en Rondeau’ from Bach’s E-major Partita (BWV1006) including ear-catching stylish decorations.

Paavo Järvi’s great appreciation of Nielsen was manifest in ‘The Four Temperaments’, which enlarged its scale. The choleric nature of the opening movement was achieved but the implicit anger was not made hasty and the breadth of tempo was most convincing making the music also strong and noble. The incisive chording was effective and the heavy brass, with important melodic significance, was superb. The phlegmatic second movement was a notable success, the slower tempo than is usual worked very well and Nielsen’s vision of a youth lying lazily on the sunlit sward was beautifully portrayed. The one sudden fortissimo was strongly exaggerated – an excellent idea.

Järvi’s expressive approach to the melancholy Andantino was a masterpiece of eloquent phrasing – the long opening melody being contoured with all the care that can be so effective in shaping a theme by Bruckner (there is little other connection between the two composers however) and this contemplative reading of so serious a movement made a suitable contrast with the wild Finale – marked Allegro sanguineo. Again trumpets, trombones and tuba were marvellous, and the fierce timpani solo was thrilling from the excellent Antoine Siguré. The concluding cheerful section should not be treated as a jolly march (but sometimes is). Nielsen warned against this – “the final march, though joyous and bright, is yet more dignified” – therefore much praise for Järvi for not hurrying: the Symphony ended imposingly. Overall there were some differences of approach to his recorded version.



http://www.classicalsource.com/db_control/db_concert_review.php?id=14085

Antifaschistische Sinfonie


jungewelt.de
Kai Köhler
14.11.2016

Eine exemplarische Aufführung: Ein Beethoven-Schostakowitsch-Konzert der Staatskapelle Berlin


Für den Westen eine nebulöse Sache: Der Sieg der Roten Armee im Zweiten Weltkrieg. In historischen Uniformen paradieren russische Soldaten zum Gedenken in Moskau am 7. November 2016
Foto: REUTERS/Maxim Shemetov


Dmitri Schostakowitschs 7. Sinfonie, mit dem Untertitel »An die Stadt Leningrad«, wird in Deutschland seltener aufgeführt als viele andere seiner Werke. Im Westen gab es sie vor 1989 beinahe nie zu hören. Den Grund dafür muss man nicht erst lange suchen: Das im Herbst 1941 komponierte Werk hat den Zweiten Weltkrieg zum Thema, und dies aus der Sicht der sowjetischen Verteidiger und späteren Sieger. Daran wurde und wird hierzulande nicht gerne erinnert. Als einziger Ausweg bietet sich der Rückgriff auf einen 1979 unter dem Titel »Zeugenaussage« veröffentlichten Text an, der Schostakowitschs in den Westen geschmuggelte Memoiren enthalten soll. Glaubt man diesem Buch – und dem Programmheft des jüngsten Konzerts der Staatskapelle Berlin –, so ist jenes Leningrad Thema, dass Stalin bereits vor dem Krieg vernichtet habe; Hitler habe nur den Schlusspunkt gesetzt.

Dergleichen Ausflüchte, die mehr als eine Million Verhungerte während der faschistischen Blockade der Stadt 1941 bis 1944 zu einem nebensächlichen Nachklapp erklären, sollen natürlich heute das Werk der herrschenden Ideologie ausliefern. Natürlich sind sie – wie die »Zeugenaussage« zum größten Teil überhaupt – Unsinn. So abstrakt Musik auch ist, in der Sinfonie geht es unüberhörbar um Kämpfe. Aber gegen einen totalitären Stalin? Man müsste sich also entscheiden: Wenn nicht auch Stalins Gegner gekämpft haben, so bezeichnet die Musik, wie man jahrzehntelang meinte, tatsächlich den Widerstand gegen den Faschismus.

Was immer vor 1941 geschah, letzteres dürfte zutreffen. Schostakowitsch, damals 35 Jahre alt, meldete sich im Sommer 1941 zweimal als Kriegsfreiwilliger zur Roten Armee und wurde abgewiesen: Seine musikalische Tätigkeit war wichtiger. Als er im Oktober aus dem bereits belagerten Leningrad ausgeflogen wurde, waren drei Sätze der 7. Sinfonie fertig. Das Finale beendete er im Dezember, und nach der Uraufführung im März 1942 wurde die Partitur per Mikrofilm ausgeflogen. Die US-amerikanische Erstaufführung im Juli leitete auch dort eine ganze Reihe von Konzerten ein. Das Werk wurde zum Symbol der alliierten Verbundenheit.

Tatsächlich hat Schostakowitsch diese Sinfonie, mehr als seine vierzehn anderen, auf einfache Fassbarkeit angelegt. Es war ihm in der bedrohten Lage noch wichtiger als sonst, das Publikum unmittelbar zu erreichen. Mehr als die Schwesterwerke, deren Anspruch unmittelbar deutlich wird, ist darum diese Sinfonie auf eine Interpretation angewiesen, die über die instrumentalen Effekte hinaus hörbar macht, wie bewusst das Werk gearbeitet ist. Die Staatskapelle Berlin unter der Leitung von Paavo Järvi wurde diesem Anspruch Anfang vergangener Woche gerecht.

Die Sinfonie weist sehr breit angelegte Steigerungen auf, die ein genau kalkuliertes Anwachsen der Lautstärke über Minuten hinweg verlangen. Dies gelang ebenso wie das Aufzeigen von melodischen und rhythmischen Verbindungen, die den Aufbau des immerhin gut 75 Minuten dauernden Werks absichern. Die Staatskapelle, die im deutsch-romantischen Repertoire einen dunklen, vollen, dabei doch klaren Klang zu geben weiß, konnte auf die kalten, bei reichlichem Schlagzeugeinsatz hell-metallisch klingenden Kriegspassagen der Leningrader Sinfonie umschalten. Bei aller Klarheit vermittelten die Musiker doch stets den emotionalen Gestus des Werks. Die Aufführung war geeignet, die erste Hälfte des Konzerts vergessen zu machen: eine vom Orchester klanglich pappige, insgesamt zerdehnte Version von Beethovens 3. Klavierkonzert. Der Solist Radu Lupu spürte in seinem Part äußerst sensibel allen Details nach, aus denen sich dann doch kein Ganzes ergab. Seine Klanggebung war durchgehend weich, was – nachdem schon der allzulangsam genommene zweite Satz zerfallen war – das Rondofinale in seinen derb-humoristischen Passagen gar nicht traf.

Nach der Pause jedoch, bei der Schostakowitsch-Sinfonie, war das sehr viel größere Orchester sehr viel leichter durchhörbar. Järvi wusste Klangfarben abzuschatten und punktuell die Aggressivität zu steigern, indem er Nebenstimmen hervorhob, die sonst leicht verdeckt werden. Die Komposition besitzt die Unmittelbarkeit von Filmmusik, wie sie Schostakowitsch überzeugend zu schreiben wusste, ist dabei aber von einer großen strukturellen Konsequenz, wie die Gattung Sinfonie sie erfordert.

Darin zeigt sich indessen auch eine Schwierigkeit für die Hörer. Das Werk hat die Qualität absoluter Musik, also einer Musik, die für sich selbst stehen kann. Gleichzeitig verweist es eindeutig auf eine Auseinandersetzung außerhalb der Musik – ohne dass Liedzitate wie in den Revolutionssinfonien 11 und 12 für programmatische Eindeutigkeit sorgen würden. Es stellt sich also die Wahl: Soll man allein Gestus und Stimmung als musikalische Vermittlung des sowjetischen Widerstands hören? Oder haben einzelne Melodien eine konkrete Bedeutung? Das Eröffnungsthema, das für lange Zeit verschwindet, doch am Ende triumphal wiederkehrt, könnte für die friedliche Heimat und dann für den erhofften Sieg stehen. Doch was ist mit dem Marschmotiv, das sich im ersten Satz über mehr als zehn Minuten aus zaghaften Anfängen zu größter Härte steigert? Nach sowjetischer Lesart stand es für die Brutalität der aufmarschierenden Faschisten, was zu der Kritik führte, dass Schostakowitsch keine positive Gegenmacht dargestellt habe. Zitate des Rhythmus in den folgenden Sätzen deuten aber an, dass schon die Voraussetzung falsch ist und der Marsch die Beharrlichkeit der Roten Armee bezeichnet.

Dies sind die Widersprüche, die sich aus einer sowohl programmatischen als auch absoluten Sinfonik ergeben; und dass man sie heutzutage im Konzert erleben kann, verdankt sich – als weiterer Widerspruch – der gegenwärtigen Verfälschung des Gemeinten. Nicht auszuschließen ist aber, dass gerade eine so hochrangige Interpretation wie die der Staatskapelle Berlin unter Järvi doch zu Erkenntnissen führt.

https://www.jungewelt.de/2016/11-14/044.php

Wednesday, November 09, 2016

Paavo Järvi conquers Shostakovich's Leningrad with the Staatskapelle

bachtrack.com
Hugo Shirley
08/11/2016
Paavo Järvi © Ixi Chen
Photo: Ixi Chen
The second of the Staatskapelle Berlin’s subscription programmes of the season was memorable in many ways. Primarily this was for a towering account of Shostakovich’s “Leningrad” Symphony, whose long course from ironic semi-darkness to ambiguous light was charted with complete control by Paavo Järvi. The Staatskapelle’s playing remained supremely refined and unruffled despite everything that Shostakovich threw at them – and through the symphony’s 70-minute span with the composer at his most inventive, acerbic and angry, that amounts to an awful lot.
In fact, Järvi is probably just the sort of conductor you want in this work if it's not to spiral out of control. His platform manner is cool and considered, his beat often undemonstrative. Only in the (ironically) triumphal final minutes did he look as though he might start to break a sweat. His clear, intelligent approach is also particularly suited to the composer’s irony, especially in the first movement’s extended, slightly Boléro-like ‘invasion theme’ march, built up here with po-faced patience.
Against a controlled background, the big moments, such as the grand Mahlerian outburst in the Adagio, registered with especial power. The gradual build-up to the finale’s concluding climax was irresistible, too, while the transparency of the Staatskapelle’s playing helped elucidate the work’s symphonic logic. The solo contributions were outstanding, with principal flute Claudia Stein particularly worthy of a mention, while the corporate string tone at the start of the finale was supremely eloquent. Were the strings perhaps a little too refined on occasion? Perhaps, and this performance could maybe have had more of the Russian grit and bite one hears in the mind’s ear, but it’s difficult to imagine a more musical account of this great symphonic edifice.
Radu Lupu’s playing in the first half hadn’t lacked musicality either, but it presented nothing like as complete a picture of Beethoven’s Third Piano Concerto. Järvi and the orchestra had laid firm foundations with an account of the first movement’s orchestral exposition that managed to be both airy and punchy, but then Lupu’s account of the solo part went its own way. There was much to be admired in the spontaneity, the unexpected voicings and the touches of wonderful lyricism. I’ve rarely heard the rippling octaves that bring the first-movement development section to a close sound so dappled, for example, although the arpeggio-accompanied dialogue between flute and bassoon in the Largo risked disappearing into inaudibility at one point.
The muted tone of Lupu’s playing, amplified by the piano apparently having had much of its brilliance and brightness conditioned out of it, could certainly be seductive. But there was also something missing – whether you call it Schwung, elan, or (following the first movement’s tempo indication) brio. The first movement cadenza ambled along rather too amiably, and generally far too much that needed to be robust came across as rather timid.
Technically, too, I’m afraid there were  too many rough edges and mumbled passages, especially in the flashier writing of the finale, which I’m not sure the pianist’s innate musicianship and sensitivity were able to mitigate. I hope he was just having an off night, and things might be better at the concert’s repeat at the Konzerthaus. 

https://bachtrack.com/fr_FR/review-shostakovich-leningrad-jarvi-staatskapelle-berlin-november-2016

Saturday, November 05, 2016

Paavo Järvi: Musical ambassador, citizen of the world


bachtrack.com
Mark Pullinger
01/11/2016


Where is home for Paavo Järvi? The life of an international conductor consists of airports and hotel-hopping and Järvi’s passport is more well-travelled than most. He has just opened his second season as Chief Conductor of the NHK Symphony Orchestra helping to celebrate the 30th anniversary of Suntory Hall, so he spends more time in Tokyo than anywhere else. “In Japan, you never go anywhere for a day!” he chortles. He is also Artistic Director of the Deutsche Kammerphilharmonie Bremen. This season sees extensive tours with both orchestras, so his suitcase will be put to good use, but he still considers his native Estonia his home base, returning each summer for the Pärnu Festival he founded in 2010 with his father, the distinguished conductor, Neeme Järvi. We met for lunch in Notting Hill during a brief London stopover.



Paavo Järvi
© Kaupo Kikkas

When it comes to the NHK, Järvi is a man on a mission. “It's an amazing orchestra,” he explains. “A lot of people in Europe and America don't realise how good the NHK is and my goal is to make this orchestra less of a secret. Europe especially has built-in prejudices towards everybody else who is making European music but is not European. Meanwhile, if the Berlin Philharmonic is looking for a concertmaster, they take a Japanese guy! There is this funny discrepancy that there's this common line that the Japanese don't really understand Western music and yet they take a concertmaster who is Japanese, which means they understand Western music very well.

“I had a discussion recently with Daniel Barenboim, whose Bruckner cycle I heard in Tokyo, about this whole issue of Asia becoming a destination. Japan has always been a destination, ever since Herbert von Karajan. I looked into the history of the NHK. There is no doubt what the centre of classical music is for them: everything Germanic. It's about Furtwängler, it's about Karajan, it's about the Berlin Philharmonic, the Vienna Philharmonic. It's about conductors like Horst Stein, Wolfgang Sawallisch. That's the top. So they want a good German Kapellmeister who conducts Bruckner and Brahms. Then there's a respect for French music, because it's Paris and it's all kind of sexy. I've been there with the Orchestre de Paris twice – but it's already one step down below anything German. Then another step below comes Russian and then English and all the others... which doesn't mean they don't respect it or love it, but the main thing is the German ideal. The plaza before Suntory Hall is called Herbert von Karajan Platz. That says it all, pretty much.

“When I hear the strings play, it's an ideal sound for Richard Strauss, for Bruckner, surprisingly also for Mahler. Everything is rounded, it's not sharp, no jagged edges. There is a richness and a total understanding of the sostenuto which in today's world is a kind of a dying art, because there are now so many stylistic options with different playing styles.”

We’ll get chance to hear the NHK in Europe next February and March when the orchestra embarks on a tour. In exchange, Järvi is taking his Deutsche Kammerphilharmonie to the Far East this autumn. Touring brings a different set of challenges, “Fatigue and the logistics of travelling from one city to another mean you have to be in alert physical and mental shape. Another thing is that some orchestras like the Kammerphilharmonie are basically touring orchestras. They’ll do two concerts in their home town of Bremen, where they have a huge following and a waiting list for subscriptions, but their basic mindset is touring. An orchestra that isn’t used to touring, like the NHK, has to get used to a routine of hotel, rehearsal, concert, hotel, next venue…”

Two titanic symphonies are in the NHK luggage when Järvi brings the orchestra to Europe: Mahler 6 and Shostakovich 10. “They’re very good at Mahler. This is only my second year, but we’ve already done 8,3,2 and 1. Shostakovich shows off the orchestra in a diffferent light. I want to show the orchestra as a major force.”



Paavo Järvi, Janine Jansen and the NHK Symphony Orchestra
© NHK Symphony Orchestra, Tokyo

Järvi takes the order of the inner movements of Mahler 6 “unfashionably Scherzo-Andante, which makes more sense as it is more shocking. You come out of this first movement and are then confronted with the same march rhythm which is relentless, a kind of structural innovation. I used to do it the other way round, just like I have changed my mind about the hammer blows. I now only do two. I think that as I get older I try to look at the decisions I have made before with a little bit of distance and ask ‘Why did Mahler want to change it back?’ There are many arguments. One can say Mahler was superstitious and he didn’t want to predict the third blow and all this, but I also think that maybe we are too eager in trying to read into somebody’s mind, whose mind you can never get into. I have this feeling that we are so in awe of this greatness that we want to solve some kind of puzzle and mystery…”

Reflecting on audiences in Japan, Järvi acknowledges that they are attentive. “Levels of enthusiasm vary. Touring orchestras have a different type of audience. Subscription audiences tend to be more low-key, a little older, polite applause. What I like is that underneath this layer of respect there is actually total commitment, an emotional connection to what they hear. You can always tell if they really like something – standing ovations are very rare, but if they really like something they will applaud high above their heads: this is their standing ovation! Whereas in the US, it’s a kind of standing evacuation because they want to leave quickly!”

It helps that the NHK plays in such a wonderful venue. “If you ask a musician who has been to Suntory Hall to name their top three halls, Suntory will be somewhere in their top three. It's a great hall, which reminds me a bit of the Berlin Philharmonie sound. It is not as overwhelmingly beautiful a sound as the Vienna Musikverein, but at the same time it has clarity and warmth. A great hall will make you sound better. Acoustics are a very psychological thing – we react to what we hear – and if an orchestra goes in and plays three notes and it sounds good, they not only sound better but they play better. This is exactly what happened to the Orchestre de Paris when we moved to the Philharmonie. That orchestra has a wonderful sound, but in the Philharmonie, they sound sensational.”

He describes his proudest moment in Paris as getting the orchestra to play in a more unified fashion, listening to one another better. “The overall level of playing went up within my six years and that’s something I’m very proud of. Repertoire-wise, the major thing that I’m proudest of is being the first French orchestra to record a complete Sibelius cycle... the orchestra had never recorded any Sibelius at all! They totally loved that music and played it in a wonderfully emotional way. There are many schools of thought about Sibelius playing; some think it has to be very austere, like the landscape, which I think is nonsense. When the Orchestre de Paris gets inspired by something, they show it. In concerts, when they are inspired it is like a flame burning!”



Paavo Järvi
© Julia Bayer

Last year saw the 150th anniversaries of both Sibelius and Nielsen – another of Järvi’s favourite composers. Yet Nielsen is still not championed as much as Järvi thinks he deserves. “There are not enough conductors who play Nielsen. Orchestras would do it if the music directors and guest conductors wanted to perform him. I had a very interesting conversation about this with Barenboim out in Tokyo. Much to my surprise (because he only conducts the Violin Concerto) he said he loves Nielsen. ‘Then why don’t you conduct Nielsen?’ I asked him. ‘Well,’ he replied, ‘when I was younger I never got round to playing Nielsen because of other priorities, and now it’s such a new world that I only do limited things,’ which I totally respect. But he came to my NHK concert when I did Nielsen 5 and came back to me afterwards and said, ‘Nielsen is a fantastic composer, I always liked his music , but I don’t conduct it, and I want my orchestra to play all the symphonies.’ So he’s invited me to do the complete cycle with the Berlin Staatskapelle. This is a great example of how a music director is not only doing things for himself, but things that he thinks are important for the orchestra.”

Järvi is in the midst of a Nielsen cycle with the Philharmonia, in which he juxtaposes the symphonies and concertos with Haydn, “Another love of mine. This repertoire is somehow considered as lacking sex appeal. I don’t understand this. I think a Haydn symphony done with wit and charm is wonderful.”

During our conversation, Järvi grows animated discussing ballet. He started out conducting ballet in Oslo and he conducts a programme at La Scala next spring. “Arguably, some of the most original and best music in the 20th century was composed for ballet, from The Rite of Spring to Petrushka to Romeo and Juliet to La Valse. By doing these scores with dancers, you have an entirely different view of them. When I conduct Petrushka now, I can ‘see’ the action in front of me because I’d conducted it 20 times in the original Nijinsky/Fokine choreography, so I know what is happening. If you saw Boulez conducting Petrushka, you could tell that he had never seen it because it was not danceable and it had no character! Just the notes. It was not connected to anything visual. Seeing a work like Balanchine’s Apollon musagète will change your life. You cannot conduct it the same way once you’ve seen it. You cannot get this out of your head. It is so gorgeous and has this sort of nobility and somehow he totally makes you understand the music.”

Järvi returns to Estonia each summer for his Pärnu Festival, created partly so he could spend more time at home, where he still takes advice from his father, Neeme, on musical matters. “His musical appetite is endless and I love that… this is the source that never dries up.

Pärnu is what we call the summer capital because it’s next to the sea. It’s the place David Oistrakh and Shostakovich would go every summer. I wanted to create a place where we could all come together with our children and parents. What could bring us all together but a music-related thing? We have a new concert hall, acoustically very good, and we have a big conducting academy – we get 300 applicants every year from which we take eight people. We do chamber music, individual masterclasses, conducting masterclasses, the youth orchestra and the festival orchestra, performing a wide variety of music. A nice mix,” he adds, with a twinkle in his eye. “Not just Grieg!”

That twinkle typifies an affable nature and a personality that enjoys a little wicked fun. Järvi’s Twitter account is a must on Eurovision Song Contest evenings. “I had a night off,” he divulges, “which is rare, and I was in Paris, watching the live stream on my computer. I impulsively tweeted something because a lot of it is very cheesy and, musically, very low quality – so it was just for fun. It certainly wasn’t planned and I didn’t think anyone would notice… then I heard later that a lot of people were having fun reading my tweets!”

But there is a responsibility too in managing social media when one is in the public eye. “One of the most difficult balances to find is this responsibility before the orchestra or organisation that you represent, yet somehow maintaining – I wouldn’t say neutral, but a distance from everyday political events. On the other hand, as a citizen of the world, as a decent person, you can’t be neutral or quiet about certain things that matter to you or are somehow screaming to be addressed.” A citizen of the world. Certain Prime Ministers may disparage the sentiment, but if anyone is a citizen of the world, it’s Järvi.

Article sponsored by NHK Symphony Orchestra, Tokyo

https://bachtrack.com/fr_FR/interview-paavo-jarvi-nhk-symphony-november-2016