Thursday, November 08, 2018

オーケストラにもお国柄 N響指揮者の対話法とは


8.11.2018

NHK交響楽団 首席指揮者 パーヴォ・ヤルヴィ氏(下)


N響首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ氏は柔軟なコミュニケーション能力の大切さを強調する


世界的な指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ氏(55)。指揮者を企業の最高経営責任者(CEO)に例える同氏は、相手に応じた柔軟なコミュニケーション能力が指揮者には欠かせないと指摘し、また、クラシック界の将来のためにも女性指揮者の育成が大切と強調する。(前回の記事は「『指揮者はCEO』 N響・外国人トップの組織管理術」)

■ドイツ、フランス、米国でこんなにも違う

――様々な国のオーケストラを指揮していますが、国によってコミュニケーションやリーダーシップの取り方も変えるのでしょうか。

「お国柄の違いは明確にあります。指揮者は、常にその違いを頭に入れて指揮しないと、ベストのパフォーマンスを引き出すことはできません。でも、実際にやってみると、それほど簡単ではありません」

「例えば、ドイツのオーケストラは、奏者らが何らかの理由で指揮者のことを嫌っていても、とりあえず指揮者の言うことに従い演奏します。これは、ヒエラルキー(序列)を重んじるドイツ人の国民性からきているのだと思います」

「同じ欧州でもフランスは全く違います。フランス人は権力全般に対し愛憎相半ばする感情を抱く国民性です。指揮者に対する奏者の気持ちも同様で、指揮者を頼りにする半面、指揮者の言葉には本能的に反発します。従って、なかなか言うことを聞いてくれません。ではどうするかというと、自分は自発的にそうしているんだと相手に思わせるような言い回しで指示を出します。上手に導くのがカギです」

「米国人はもっと簡単です。彼らは現実主義者なので、シンプルで明確な指示を出せば、その通りに動きます。ただ、米国の奏者は基本的に、指揮者は自分たちの敵だと思っています。これには歴史的背景があります。米国では、20世紀半ばに、威圧的な指揮者による権力の乱用が問題になりました。このため労働組合運動が活発化し、指揮者を含むマネジメント側と、奏者の対立がしばらく続きました」

「米国では学校でも、指揮者は敵だ、マネジメントは敵だと教えられます。それが若い奏者の頭の中に刷り込まれているのです。今は、権力の乱用も指揮者と奏者の間の対立もありませんが、集団としての記憶は残っています。米国で指揮する時は、こうした米国の歴史に注意する必要があります」



――グローバル経営でコミュニケーション能力が重視されるビジネスの世界同様、オーケストラの世界もリーダーに必要なのは、やはりコミュニケーション能力ということなのでしょうか。

■日本人は信じがたいほど序列を意識
N響を指揮するヤルヴィ氏(T. Mochizuki/NHKSO)

「その通りです。自分がこれから指揮するオーケストラのメンバーが、こちらの態度や言葉づかいにどう反応するかを素早く感じ取り、最善のコミュニケーションの方法を選択することが、指揮者にとって極めて大切です」

「ただし、相手に配慮しすぎて必要なことをきちんと伝えることができなかったら、それもまた指揮者としては問題です。オーケストラの奏者はみな高いプロ意識を持っています。向上心もあります。ですから、自分に足りないところやおかしなところがあれば、正直に指摘してもらえることを望んでいます」

「にもかかわらず、指揮者が関係をギクシャクさせたくないがために、例えば、誰が見ても出来が悪いのに『今日はよかった』などと明らかなウソをついたら、逆に関係を悪化させます。いかに相手の尊厳を踏みにじることなく、言いたいことを相手に伝えるか。その能力が指揮者には求められているのです」

――とはいえ、指揮者も人間ですから、奏者があまりにも言うことを聞かなかったりミスを繰り返したりした時に、キレることがあるのではないですか。

「人間はミスをするものです。私もミスをします。ですから、ミスには寛容な姿勢が大切です。ただ、あまりにも同じ人間がミスを繰り返すようなら、そこは別の対応を考えなければなりません」

「指揮者ができることは、まず、本人とじっくり話をし、原因を探ることです。何か精神的な問題があるのかもしれないし、家庭の事情で練習ができないのかもしれない。とにかく話し合いが大切です。その上で問題が解決できなければ、解雇という選択肢も可能性としてはありますが、現実問題としては非常に難しい」

「米国のオーケストラで指揮をしていた時、期待していたパフォーマンスを発揮することができなかった奏者に、結局、辞めてもらったことがありました。しかし、これは例外的なケースです。人事問題は、一般の企業同様、答えを見つけるのが非常に難しい問題です」

――日本のオーケストラも長年指揮していますが、日本人に対してはどんな印象を持っていますか。

「指揮者にとっては、日本は非常にやりやすい国です。なぜなら、日本人は信じがたいほど強い序列意識の持ち主だからです。どの楽団にも明確なリーダーシップの序列があり、メンバーは組織内の序列に常に注意を払いながら行動します。ですから、われわれ指揮者の話も素直に聞いてくれます。フランスでは絶対にあり得ないことです」

――日本人は上に従順ということでしょうか。

「従順というよりは、プロフェッショナルと言ったほうが正しい表現です。日本の奏者は自分をしっかり持っていますし、頑固なところは頑固です。また、常にベストを尽くそうとしますし、ミスは許されないという気持ちも強い。日本のオーケストラを指揮することは、大きな喜びです」

■女性指揮者を増やすことは極めて重要
「女性指揮者を育てたい」と語るヤルヴィ氏

――若手指揮者の育成にも熱心と聞きます。

「私は米国に移住していますが、生まれ故郷のエストニアで、指揮者を養成するためのスクールを運営しています。毎夏、世界中から20代を中心とする若手の指揮者が集い、実践的な練習を通じて技術を磨いています。また、受講生の半分を女性とする方針も掲げています。今年の夏は、半分には達しませんでしたが、それでも18人中、6人が女性でした」

――確かに、ビジネスや政治の世界では女性リーダーの台頭が目立ちますが、女性指揮者は、あまり見かけません。

「これまで女性指揮者がほとんどいなかった理由は、他の多くの分野で女性リーダーがいなかったのと同様、女性はリーダーになることを奨励されていなかったからです」

「最近は女性の指揮者も急速に増えています。実際、私が首席指揮者を務めるNHK交響楽団の2人のアシスタント指揮者のうち、1人は女性です。しかし全体から見れば、女性指揮者はまだ圧倒的に少数派です」

「女性指揮者にとって大きな問題は、ロールモデルの不在です。男性指揮者の場合は、カラヤンやバーンスタインをはじめロールモデルはいくらでもいます。女性も男性指揮者を手本とすればいいではないかとの考え方もあるかもしれません。しかし女性は、指揮者としての体の動かし方や奏者とのコミュニケーションの取り方などが、どうしても男性と違うので、男性指揮者をロールモデルとするのは難しい面があります」

「現状、女性指揮者のロールモデルがなかなかいない中では、彼女たちの指揮の技術が向上するよう、直接支援することが大切です。私のスクールで女性の受講生を多くとっているのも、そのためです。女性の指揮者を増やすことは、クラシック界全体のためにも非常に大切なことだと私は思います」
パーヴォ・ヤルヴィ
旧ソ連(現エストニア)生まれ。米カーティス音楽院を出て、シンシナティ交響楽団音楽監督、パリ管弦楽団音楽監督などを歴任。現在はNHK交響楽団首席指揮者、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団芸術監督などを兼任する。

(ライター 猪瀬聖)



https://style.nikkei.com/article/DGXMZO37276010S8A101C1000000?channel=DF041220173308

nikkei.com

Thursday, November 01, 2018

「指揮者はCEO」 N響・外国人トップの組織管理術

style.nikkei.com
1.11.2018


NHK交響楽団首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ氏


 現代を代表する指揮者のひとり、パーヴォ・ヤルヴィ氏(55)。現在もNHK交響楽団(N響)やドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団を率いるなど、世界的な人気だ。そのヤルヴィ氏は「指揮者は企業の最高経営責任者(CEO)に似ている」と語る。

■知名度上げるプロモーション活動も仕事

 ――N響の首席指揮者に就任して4年目です。

 「大変満足しています。N響はすばらしいオーケストラで、シカゴ交響楽団やロンドン交響楽団など欧米のオーケストラと比べても決して引けをとりません」

「残念なのは、地理的に遠いため、欧米における知名度や認知度がそれほど高くないことです。知名度を上げるために海外ツアーなどのプロモーション活動を強化することも、首席指揮者としての私の重要な任務の一つです」

 ――プロモーション活動まで担うあたりは、ビジネスマンのようです。

 「指揮者と企業経営者はよく似ています。例えば、製薬会社のCEOは、必ずしも薬の作り方を知っているわけではありませんが、製薬会社を経営することはできます。そして、人を雇い、組織を管理し、長期戦略を立て、どうすれば組織を成長させられるか、知名度を上げることができるかといった課題に取り組み、成果を上げる。それがCEOの仕事です」

 「指揮者も同じです。指揮者は、オーケストラのすべての楽器を演奏できるわけではありませんが、オーケストラを束ねることはできます」

 「それに、指揮者の仕事は、単にタクトを振るだけではありません。その楽団の成長戦略を練り、採用オーディションに立ち会い、また、自らメディアに出るなど先頭に立って組織を売り込むこともします。特に首席指揮者のように楽団に対して大きな責任を持つ立場の指揮者は、経営者的な役割を果たすことがより求められています」

「CEOが業績不振の責任をとって辞任するように、指揮者もコンサートが振るわなければお払い箱です。そこまで一緒です」

■バーンスタイン氏は「優しく厳しい」リーダー

 ――企業経営者と同様、指揮者にも良い指揮者とそうでない指揮者がいるかと思いますが、良い指揮者の条件は何ですか。

 「2つあります。一つは、当然ですが、音楽に関する高い才能です。もう一つは、人としての資質です。具体的には、オーケストラの奏者たちと良好な関係を築きながら一緒に仕事ができる才能です。いくら音楽の才能があっても、必ずしも人としての資質が備わっているわけではありません。そこが難しいところです」
バーンスタイン氏(右)の指導を受けるヤルヴィ氏=ヤルヴィ氏提供

 「総勢100人規模になるオーケストラの奏者は、みな選ばれし者だけに、個性の強い人たちばかりです。一流の音楽学校を出ているので、技術には自信を持っており、プロ意識も高い。音楽に関しては頑固な面もある。そんな奏者たちと良好な関係を築きながら一緒に仕事をしていく能力がないと、良い指揮者にはなれません」

 ――具体的には、どのようにして良好な関係を築くのでしょうか。

 「首席指揮者の場合、1シーズンのうち12~14週間ほど、そのオーケストラのメンバーと一緒に仕事をします。その間に時間をかけて互いを理解し、信頼関係を築いていきます。信頼関係の構築に近道はありません」

 「現実には、奏者はプロ意識の高い人たちばかりですから、そうひんぱんに問題は起きませんが、まれにプロ意識に欠け、傲慢で、人の話を聞かない人がいます。そういう人をどう上手にマネジメントできるかが全体のパフォーマンスにも影響してきます」

 「オーケストラのメンバーとの人間関係をどう築いていくかは、音楽学校では教えてくれません。私もそうでしたが、日々の仕事の中で、失敗を積み重ね、試行錯誤しながら、身につけていくしかないのです」

 「正直、今の私は、かなり経験も積んでいるので、オーケストラの奏者と信頼関係を築くのも、問題奏者をうまくマネジメントするのも、それほど苦ではありあせん。むしろ楽しんでやっています」

 ――若いころ、伝説の指揮者レナード・バーンスタイン氏に師事しましたね。

 「彼はカリスマ性があり、まさにスターのような存在でした。常に大勢の人が彼をとり囲み、彼の一挙手一投足を追い、彼の言葉に耳を傾けました。バーンスタイン氏は、人を引き付ける才能に非常にたけていました」

 「リーダーとしても非凡な才能を持っていました。彼は自分の弟子や部下たちにいつも優しく接しつつ、同時に、常にプロとして高いレベルのものを要求しました。一言で言えば優しく厳しいリーダーでした」

 ――そんな恩師から何を学びましたか。

 「全てです。技術的な面もたくさん学びましたが、リーダーシップに関しても多くを得ました。彼の指導方法の特徴は、個々のモチベーションを高めることで、全体のパフォーマンスを上げるところにあります」

 「例えば、私の指揮を一通り見たあと、『グレート、センセーショナル、ファンタスティック』などと褒めちぎり、思い切り持ち上げます。しかし、その直後に必ず、『でも、ここはこうしたほうがいい』とか『次はこうやってみなさい』などと、厳しく注文を付けてきます。そうした厳しい注文も、褒められてよい気分になっているので、素直に聞き入れることができるのです」

 「そんな彼の指導スタイルが私は大好きでした。部下のモチベーションを高めることができるのは、優れたリーダーの条件だと思います」

■威圧的な指揮者のイメージは過去のもの

指揮者の仕事は多岐にわたると語る

 ――よく、良い経営者と偉大な経営者は違うと言います。それに例えれば、バーンスタイン氏やヘルベルト・フォン・カラヤン氏は、誰もが認める偉大な指揮者です。良い指揮者と偉大な指揮者の違いは何ですか。

 「それに関しては私もわかりません。数字で測れるものではありませんし、決まった型があるわけでもありません。多分に主観的なものだと思います。もし、良い指揮者と偉大な指揮者との違いをきちんと説明することができるなら、もっと多くの偉大な指揮者が存在しているに違いありません」

 ――ヤルヴィさんの指導や指揮スタイルも恩師であるバーンスタイン氏のスタイルを踏襲しているのでしょうか。

 「指揮者の中には、例えばリハーサルがうまくいかないと、大声で怒鳴り散らす人もいます。私はそういうやり方は好みません。そんなことをしても、絶対によい結果は得られないからです」

 「指揮者が威圧的な態度だと、奏者のモチベーションは上がりません。モチベーションが上がらなければ、演奏にも響く。相手を脅して言うことを聞かせようとするのは、非常に非生産的なやり方です」

 「時代も違います。何十年も昔は、奏者に対し礼を欠いたり、権力を振りかざして言うことを聞かせようとしたりする指揮者も大勢いたかもしれません。社会もそれを許していました。しかし、今の時代、そういうやり方は、社会に受け入れられません」
パーヴォ・ヤルヴィ
 旧ソ連(現エストニア)生まれ。米カーティス音楽院を出て、シンシナティ交響楽団音楽監督、パリ管弦楽団音楽監督などを歴任。現在はNHK交響楽団首席指揮者、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団芸術監督などを兼任する。

(ライター 猪瀬聖)

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO36961230W8A021C1000000?channel=DF041220173308&page=3

Sunday, October 28, 2018

钢琴家左章,金秋10月上海国际艺术节华丽绽放

wenhui.whb.cn
28.10.2018

10月28日午时12点,上海音乐厅音乐广场奏响精彩演出,作为上海国际艺术节专场演出,本场音乐会上,指挥大师帕沃·雅尔维携手青年钢琴艺术家左章与苏黎世音乐厅管弦乐团联袂,共同献上布拉姆斯匈牙利舞曲1、3、10;李斯特钢琴协奏曲第一交响曲;布拉姆斯第二交响曲等精彩曲目。著名青年钢琴家左章,为在场所有观众献上美妙琴音。

指挥大师帕沃·雅尔维。师从伯恩斯坦的他被誉为“当今世界乐坛60岁以下最高级别的指挥家”。帕沃·雅尔维曾两度获得格莱美奖,他与辛辛那提交响乐团、巴黎交响乐团、芝加哥交响乐团、洛杉矶爱乐乐团、纽约爱乐乐团、德累斯顿国家管弦乐团、日本NHK交响乐团等世界一流交响乐团都有合作。



拥有150年历史的瑞士苏黎世音乐厅管弦乐团成立于1868年,是瑞士乃至欧洲历史最悠久交响乐团之一,曾于2011年访华演出。本月24日再度访华,首演于两日前的北京国际音乐节。2017年起,帕沃·雅尔维担任苏黎世音乐厅管弦乐团首席指挥。事实上,从2014年带领巴黎管弦乐团,到2017年执棒布莱梅德意志室内爱乐管弦乐团,雅尔维已经成为国内常客。

作为一位极富想象力和感染力的女性钢琴演奏家, 2013年左章被英国BBC广播选为“新一代青年艺术家”,成为迄今为止唯一获得这一殊荣的中国钢琴家,参加他们2013至2015年度的音乐会和电台录音。从伦敦到全欧洲的主要城市,她与BBC旗下的所有乐团合作带来了一系列令人极度关注的音乐会,并为BBC古典音乐电台录制了20多场音乐会向全球的听众播放,也包括了她2014年首次在闻名于世的伦敦逍遥音乐节的精彩亮相,获得古典音乐家及观众的双重好评。



左章拥有令人叹为观止的技术实力和浑然天成的资质。“左章是我遇见过的不多的最杰出和最富激情的钢琴天才”。这是著名指挥家帕沃·雅尔维(Paavo Jarvi)在和左章合作后给出的评价。媒体形容她的演出“充满热情和魅力,散发青春活力”。左章个人对音乐深刻的理解和超强的演绎能力被描述为“完全把我们带入了另一个境界……其鲜明的个性和表现力以及带来的感动达到了极致”(《比利时广播》)。而她艺术上的成熟,其音乐会被誉为“充满力量、饱含激情、令人折服的纯净的艺术表演”(《洛杉矶时报》),“不可思议地将控制力和爆发力与优雅融合为一体”(《华盛顿邮报》)。她和乐队的合作“能游刃有余地展现出漂亮的音色和音乐的张力,同时又能表现出辉煌的协奏曲中最温柔的另一面。”

左章独特的音乐天赋,从她5岁在德国学习钢琴时便开始显露。习琴不长时间,老师便发现她进步飞快,刚好赶上柏林进行著名的施坦威钢琴大赛,老师就鼓励她去参加,结果一举夺得了第三名的成绩并在著名的柏林爱乐音乐厅登台演出。她的钢琴生涯就此展开。8岁时回到深圳,师从著名钢琴教育家但昭义教授,开始进行严格正规的训练,不到半年就开始参加比赛并频频获奖,其中包括首届中国深圳国际钢琴协奏曲比赛第一名、美国吉娜.巴考尔国际钢琴大赛第一名、乌克兰克莱涅夫国际钢琴大赛第一名等。中国音响出版社专门为她录制发行了《中国杰出音乐少年钢琴专辑》,成为青少年学习钢琴的范本。

在深圳艺校中学毕业后,左章获取全额奖学金到美国先后跟随伊思曼音乐学院娜莉塔•特鲁、茱莉亚音乐学院钢琴系主任尤希维德•卡普林斯基和著名钢琴演奏家教育家罗伯特•麦当劳以及皮巴蒂音乐学院著名钢琴大师李昂.富莱舍学习深造,同时也出现在许多重要的钢琴大赛上获取了荣誉,包括参加荷兰李斯特国际钢琴大赛获得最佳青年演出奖、参加比利时伊丽莎白女王音乐大赛成为唯一获奖的女钢琴家并获得30多场音乐会合约。 2013年在茱莉亚音乐学院获得了学院至高荣誉的William Petschek钢琴演奏大奖。更因其在英国丽兹国际钢琴大赛的出色表现获得英国BBC广播公司的青睐而获选为BBC新一代青年艺术家。



凭借这一系列殊荣,她签约了著名的美国哥伦比亚艺术家管理公司,也是继郎朗之后,第二位签约的中国钢琴家,开始频繁地出现在世界各地的古典音乐舞台上。除了和主要的中国乐团包括香港管弦乐团、上海交响乐团、广州交响乐团、北京交响乐团、澳门交响乐团、深圳交响乐团、杭州爱乐乐团等经常合作演出外,她与伦敦交响乐团、BBC交响乐团、BBC爱乐乐团、比利时国家乐团、辛辛纳提交响乐团、西班牙法仑西亚皇家乐团等在内的世界顶级乐团举办音乐会,更多次受邀在全球最富盛名的卡耐基大厅、林肯中心、肯尼迪表演艺术中心、伦敦皇家艾伯特演奏厅、布鲁塞尔万国宫美术学院和莫斯科音乐学院演奏大厅等著名音乐殿堂演出。同时,左章也受到了世界各地著名音乐节的强烈关注,获邀在波兰华沙贝多芬国际音乐节、美国拉维尼亚(Ravinia)音乐节等登台亮相,如美国拉维尼亚音乐节、伦敦逍遥音乐节、波兰贝多芬国际音乐节等,赢得了极好的反响,深受观众的喜爱。近年合作的指挥大师包括Paavo Jarvi、Marin Alsop、Yan Pascal Totellier等。

演出后,多家媒体对左章进行了专访,据悉,明年1月份她的第一张专辑即将出版;谈到未来,左章很自信,说到:“我的理想是走遍世界每一个舞台,大家只要一提到古典音乐和钢琴就会提到左章两个字,这需要我用一辈子去实现。坚持不断地学习,会帮助我离这个目标越来越近。”


http://wenhui.whb.cn/zhuzhan/ms/20181028/203592.html?timestamp=1540719143509&from=singlemessage&isappinstalled=0

Wednesday, October 24, 2018

苏黎世市政厅管弦乐团首度亮相北京国际音乐节








摄影/谌强




今晚,拥有一百五十年悠久历史的瑞士苏黎世市政厅管弦乐团,首次登上北京国际音乐节舞台——由著名指挥大师帕沃·雅尔维执棒,苏黎世市政厅管弦乐团携手格鲁吉亚女钢琴家卡蒂娅·布妮娅什维利,在北京保利剧院的音乐节舞台上,为爱乐者演绎了包括德彪西、拉赫玛尼诺夫、马勒交响杰作的长达两小时的音乐会,在异彩纷呈的第二十一届北京国际音乐节名家名团系列中,呈现了一场精妙绝伦的音乐盛典。






摄影/谌强


Beijing Music Festival
24.10.2018


言及活跃在当今国际乐坛的欧洲顶级交响乐团,乐迷们总会如数家珍地提到柏林爱乐乐团、维也纳爱乐乐团、伦敦交响乐团、阿姆斯特丹皇家音乐厅管弦乐团等世界名团,也不难想到钟表王国瑞士也同样孕育了一支历史底蕴深厚、艺术水准精湛的顶级管弦乐团——苏黎世市政厅管弦乐团。今年适逢这支享誉欧洲长达一个半世纪之久的乐团创立一百五十周年,在其第三次来中国访问演出的艺术之旅中,第一次出现在饮誉国际乐坛的北京国际音乐节的舞台上。








摄影/谌强





苏黎世市政厅管弦乐团创建于1868年,是瑞士乃至西欧地区历史最悠久的交响乐团,包括富特文格勒、鲁道夫·肯佩、卡尔·伯姆、汉斯·舒里希特等老一代指挥大师对乐团成长的非凡贡献,奠定了乐团广泛的国际性声望。同时,大卫·津曼、海廷克、哈农库特、布隆姆施塔特等大师名家与乐团有过密切合作。而与北京国际音乐节渊源颇深的艾森巴赫、迪图瓦两位指挥大师,都曾担任过乐团的首席指挥。正是在众多伟大指挥家的塑造下,苏黎世市政厅管弦乐团拥有当今欧洲最富盛名的华丽音色和美妙音响,并与其长年驻场的苏黎世市政厅携手创造了厅团合一的不朽传奇。









摄影/谌强





第一次登上北京国际音乐节舞台的苏黎世市政厅管弦乐团,首次访华演出至今已有七年,但在近年来的琉森音乐节、萨尔茨堡音乐节、伦敦逍遥音乐节等欧洲主流音乐盛事中,各国的音乐观众总是能看到苏黎世市政厅管弦乐团的身影,这也令中国爱乐者对其到中国访问演出充满殷切期待。令爱乐者们欣喜不已的是,今年春节期间,北京国际音乐节艺术委员会主席、指挥大师余隆在他执棒海外中国农历新年系列音乐会期间,在瑞士与苏黎世市政厅管弦乐团进行了成功合作,这也激发了爱乐者的渴望,对其再度访问中国、亮相北京国际音乐节舞台更加充满期待。









摄影/谌强





执棒今晚苏黎世市政厅管弦乐团北京音乐会的指挥大师帕沃·雅尔维,是第三度登上音乐节舞台的老朋友。他从2014年带领巴黎管弦乐团亮相北京国际音乐节,到2017年与不莱梅德意志室内乐团在音乐节舞台上演绎贝多芬交响曲全集音乐会,已是音乐节观众最熟悉和喜爱的指挥名家之一。自2017年起,帕沃·雅尔维荣任苏黎世市政厅管弦乐团的首席指挥,虽然要到明年秋天才正式上任,但帕沃·雅尔维今年便开始了与苏黎世市政厅管弦乐团的深度合作,并率团踏上了此次亚洲巡演之路、亮相北京国际音乐节舞台,以此庆贺乐团的一百五十周年华诞。









摄影/谌强





帕沃·雅尔维是当今国际乐坛中生代指挥家中的佼佼者,以其全面的指挥技巧、宽泛的曲目储备深受乐迷追捧。近年来,帕沃·雅尔维更是风头正劲,炙手可热,几年前他曾一度同时担任法兰克福广播交响乐团、不莱梅德意志室内乐团、辛辛那提交响乐团三支乐团的首席指挥,目前,他除继续执掌不莱梅德意志室内乐团外,还同时兼任苏黎世市政厅管弦乐团和日本NHK交响乐团的首席指挥,堪称国际舞台最忙碌的指挥家之一。在此次来北京前,帕沃·雅尔维刚刚与柏林爱乐乐团进行了成功合作。








摄影/谌强





今晚在保利剧院与帕沃·雅尔维大师携手同台亮相的格鲁吉亚女钢琴家卡蒂娅•布妮娅什维利,虽是中国爱乐者十分熟悉的钢琴名家,但也是首次亮相北京国际音乐节舞台。刚过而立之年的布妮娅什维利是当今古典乐坛新生代钢琴家的代表人物,以演奏浪漫主义和俄罗斯作品见长,今晚,她与苏黎世市政厅乐团携手演绎的拉赫马尼诺夫《C小调第二钢琴协奏曲》,让中国爱乐者领略了她极富个性和张力的艺术风采。北京国际音乐节艺术总监邹爽、节目总监涂松说,爱乐者们在今晚音乐会上聆听到的德彪西管弦乐《牧神午后前奏曲》,是音乐节在谋划这台音乐会时,与苏黎世市政厅管弦乐团精心选择的曲目,不仅使音乐会呈现了德奥、法兰西和俄罗斯音乐经典的绚烂,也以此纪念德彪西大师逝世一百周年。




摄影/谌强




在今晚这台两个小时的音乐会中,帕沃·雅尔维执棒瑞士苏黎世市政厅管弦乐团演绎的马勒《升C小调第五交响曲》长达七十分钟,是历届北京国际音乐节名家名团系列中的一个令人难忘的时刻和可贵的版本。在北京国际音乐节的舞台上,指挥大师艾森巴赫与中国爱乐乐团、阿什利·菲舍尔和西澳大利亚交响乐团都曾演绎过马勒这部高难度的作品。今天晚上,帕沃·雅尔维独具匠心的诠释以及苏黎世市政厅管弦乐团柔美华丽的弦乐、辉煌圆融的铜管与天鹅绒般的木管,将马勒这部旷世之作演绎得动人心弦,为其增添了非凡的色彩,让爱乐者在保利剧院里度过了一个难忘的音乐夜晚……











摄影/谌强


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苏黎世市政厅管弦乐团首度亮相音乐节舞台 | 指挥大师雅尔维上演重磅交响大戏

Beijing Music Festival
24.10.2018


10月24日,拥有150年悠久历史的瑞士苏黎世市政厅管弦乐团将首次登上北京国际音乐节舞台,届时曾在去年以贝多芬交响曲全集音乐会轰动一时的著名指挥大师帕沃•雅尔维将重返北京,此次他将率团携手格鲁吉亚女钢琴家卡蒂娅•布妮娅什维利,演绎包括德彪西、拉赫玛尼诺夫、马勒的交响杰作,为京城乐迷带来一场长达120分钟无比丰盛的音乐盛宴。

苏黎世市政厅管弦乐团成立于1868年,是瑞士乃至西欧地区历史最悠久交响乐团。包括富特文格勒、鲁道夫•肯佩、卡尔•伯姆、汉斯•舒里希特等老一代指挥大师都奠定了乐团的国际性声望,同时大卫•津曼、海廷克、哈农库特、布隆姆施塔特与乐团有过密切合作,而与北京国际音乐节颇有渊源的两位指挥大师艾森巴赫与迪图瓦都曾担任过乐团的首席指挥。正是在一批批伟大指挥家的塑造下,苏黎世市政厅管弦乐团拥有着当今欧洲最富盛名的华丽音色和美妙音响,并且在与其长年驻扎的苏黎世市政厅(Tonhalle)联手创造了厅团合一的不朽传奇。




图1|苏黎世市政厅管弦乐团




从2019-2020演出季开始,指挥大师帕沃•雅尔维荣任苏黎世市政厅管弦乐团的首席指挥,但今年帕沃·雅尔维便开始了与乐团的深度合作,并率团踏上此次亚洲巡演之路。


图2|指挥家:帕沃•雅尔维


成长于爱沙尼亚著名的指挥世家,1962年出生的帕沃•雅尔维可谓是当今国际乐坛中生代指挥家中的佼佼者,以全面的指挥技巧、宽泛曲目储备深受追捧,近年来雅尔维更是风头正劲、炙手可热,几年前他曾一度同时执掌包括法兰克福广播交响乐团、不莱梅德意志室内乐团、辛辛那提交响乐团三支乐团的首席指挥,眼下他除继续领导不莱梅室内乐团外,还同时兼任苏黎世市政厅管弦乐团和日本NHK交响乐团的首席指挥,堪称是国际舞台最忙碌的指挥家之一。在此次来京前,他刚刚与柏林爱乐乐团进行了成功合作。




图3|钢琴家:布妮娅什维利


将与雅尔维大师携手同台亮相的格鲁吉亚女钢琴家卡蒂娅•布妮娅什维利,同样是首次在音乐节舞台献艺。1987年出生的布妮娅什维利是当今古典乐坛新生代钢琴家的代表人物,以演奏浪漫主义和俄罗斯作品见长,此次她将与苏黎世市政厅乐团合奏拉赫马尼诺夫的《C小调第二钢琴协奏曲》。


本场音乐会的曲目可谓精彩纷呈,音乐家将为观众带来一场120分钟的超长交响盛宴。除了拉赫马尼诺夫的《C小调第二钢琴协奏曲》外,在演出上半场观众还将欣赏到德彪西的管弦乐《牧神午后前奏曲》,而重头戏则是作曲家马勒长达70分钟的《升C小调第五交响曲》。相信苏黎世市政厅管弦乐团柔美华丽的弦乐、辉煌圆融的铜管与天鹅绒毛般的木管将为马勒这部旷世之作增添非凡的色彩,而指挥雅尔维独具匠心的诠释必将打造出一个令乐迷魂飞梦绕的马勒音响盛宴。


此外,北京国际音乐节将继续对10月24日的这场音乐会进行现场直播,届时观众可以通过腾讯视频、库客音乐、爱满地古典音乐频道等线上平台,欣赏到指挥大师雅尔维与苏黎世市政厅管弦乐团的精湛表现。




图4|北京国际音乐节牧神午后音乐会新闻发布会


“牧神午后”


帕沃•雅尔维与苏黎世市政厅管弦乐团交响音乐会节目单


克劳德·德彪西:牧神午后前奏曲



谢尔盖·拉赫玛尼诺夫:C小调第二钢琴协奏曲

I 中板

II 稍慢的柔板

III 诙谐的快板



中场休息



古斯塔夫·马勒:升C小调第五交响曲

I 葬礼进行曲

II 快板

III 谐谑曲

IV 小柔板

V 回旋曲



钢琴:卡蒂雅·布妮娅什维利

演奏:苏黎世市政厅管弦乐团

指挥:帕沃·雅尔维


https://mp.weixin.qq.com/s?__biz=MjM5NDkxMjQ5MQ==&mid=2650732151&idx=1&sn=3d974d8cfff3d3fc44929660c7160485&chksm=be8ad7f389fd5ee50b7a6f5ada6fd0f5ba9f3d820d59bd97327ddbb8d1ebd9ac4d4aeba39d97&mpshare=1&scene=1&srcid=1026DYOXvavvR5rZROwPg5Sq&pass_ticket=s8ui%2Bkcp8rwhVVxFBpsv3Ct32ia1c6to%2FUpds2yACOc%3D#rd

指揮世家出身 帕佛‧賈維用音樂團結人心

chinatimes.com
24.10.2018


獲英《留聲機》和法國《音叉》一致推崇為「年度最佳藝術家」,愛沙尼亞音指揮家帕佛‧賈維在當今古典樂壇地位崇高。(新象提供)

世局混亂,人心浮盪,古典音樂可以發揮甚麼角色?獲英國《留聲機》雜誌和法國《音叉》雜誌一致選為「年度最佳藝術家」,愛沙尼亞音樂家帕佛‧賈維被父親也是知名指揮尼姆.賈維帶著從共產蘇聯統治下逃離,當年他才18歲,感觸尤深,「古典音樂永遠不會解決實際的衝突,但它有助於處理問題,並有助於創造更多和諧。」

帕佛表示,古典音樂有一股強大的力量,就是「團結」,歷經戰亂,帕佛理解人性,「在融合大家歧見的時刻,音樂比任何時候都重要。」

出生於1962年,帕佛‧賈維是當代最受矚目的中生代重要指揮家之一,也是當今樂壇合作邀約最多的指揮家之一,他同時兼任包括巴黎管弦樂團、NHK交響樂團首席指揮以及辛辛那提交響樂團桂冠音樂總監,明年起他也將出任蘇黎世管弦樂團音樂總監,下周他將應新象藝術40周年之邀率領該團訪台演出。

帕佛‧賈維出身自音樂家庭,父親尼姆.賈維是當今最受人景仰的指揮大師之一,他的弟弟克利斯欽.賈維也是指揮家,妹妹瑪莉卡.賈維則是長笛家。帕佛的音樂養成除了父親的薰陶外,後來他拿到美國護照,在寇帝斯音樂院深造長期追隨伯恩斯坦帶領洛杉磯愛樂,讓帕佛有了開闊的文化視野。

帕佛表示,他已經想不起來他的第一個音樂記憶是什麼,「我只記得我小時候常去聽歌劇排練,每個團員都知道我和我妹就在歌劇院跑來跑去,我從來沒有想過要當指揮,這一切都是自然而然發生。」帕佛賈維說,他從來沒有被父親強迫要當音樂家,「很多男孩總是會叛逆,不想要跟隨家庭傳統,但我很早就想要像我父親一樣。」

帕佛‧賈維的音樂理性中帶有感性,根基穩固,依照樂譜演奏,毫不逾矩,被譽為「音樂建築師」,「我的老師伯恩斯坦曾經勉勵過我,站上指揮台之前當然要做好充足的準備,但當你站在指揮台上的那一刻,那些準備都要從你的腦袋裡扔掉,用心去處理去感受接下來的每一顆音符。」

帕佛.賈維與蘇黎世管弦樂團音樂會將於10月31日舉行,地點在台北國家音樂廳。曲目包括拉赫曼尼諾夫《第二號鋼琴協奏曲》與馬勒《第五號交響曲》。鋼琴家為卡蒂雅(Khatia Buniatishvili)。

(中時 )

https://www.chinatimes.com/realtimenews/20181024003576-260405

Monday, October 22, 2018

Muskulöse Zukunft: Das Tonhalle-Orchester rüstet sich für die grosse Fahrt

nzz.ch
Felix Michel
14.10.2018

Der designierte Tonhalle-Chefdirigent Paavo Järvi beginnt bereits jetzt, Orchester und Publikum zu erobern. Was bei Mahler prächtig funktioniert, erweist sich bei Brahms allerdings als heikel.



Kathia Buniatishvili trifft auch enigmatische Zwischentöne – hier bei einem Auftritt an der Frankfurter Buchmesse. (Bild: Friedemann Vogel / EPA).

Obwohl noch nicht im Amt, geht Paavo Järvi mit dem künftig von ihm geleiteten Zürcher Tonhalle-Orchester auf Konzerttournee nach China, Taiwan und Korea. Zuvor hat man gewissermassen das musikalische Reisegepäck präsentiert: Liszt und Mahler; Debussy, Rachmaninow und Brahms – es müssen hochintensive Tage für alle Beteiligten gewesen sein.

Nach dem Jubel bei den ersten beiden Konzerten warf der Auftritt am Freitag dann doch ein paar Fragen auf – spannende Fragen, weil sie Järvis künstlerisches Ideal betreffen, vielleicht auch das zukünftige Selbstbild des Orchesters. Wie das klingt? Muskulöser, kantiger; stärker auf Reliefgebung, auf das Konturieren rhythmischer Details oder das Hervorheben einzelner Stimmen bedacht. Und Järvi musiziert gerne etwas rascher als gewohnt.

Strukturbewusstsein statt diffusem Duft

Wer nun fragt, wo denn bei all diesen relativen Umschreibungen der Vergleichspunkt liege, kommt schnurstracks zur Crux: Den Massstab bildet – das lässt sich schwer leugnen – die Vergangenheit, und das heisst in erster Linie: David Zinman. Jedoch nicht ausschliesslich, wie Claude Debussys «Prélude à l’après-midi d’un faune» aufzeigte. Da trennte Järvi die Formteile so strukturbewusst, da beleuchtete er Instrumentenkopplungen so genau, dass vom betäubend diffusen Duft dieses erotisch-philosophischen Tagtraums wenig übrig blieb – hätte Lionel Bringuier zumindest diese Falle mit seinem undurchschaubaren Charme nicht umgangen? Wie auch immer – neben wechselnden Dirigenten prägen ja die Orchestermitglieder jede Interpretation mit, so hier die Soloflötistin Sabine Poyé Morel, deren feingesponnener Silberfaden alles durchwirkte.

Gegenseitige Beflügelung ausgeprägter Persönlichkeiten versprach das 2. Klavierkonzert von Sergei Rachmaninow, zumal mit Khatia Buniatishvili eine prädestinierte Solistin den virtuosen Klavierpart meisterte. Doch manche Zwiesprache mit dem Orchester wollte nicht ganz gelingen, und wunderschön, doch merkwürdig überbelichtet ragten die Bläsersoli aus dem Ganzen. Buniatishvili traf dafür auch die enigmatischeren Zwischentöne – und vieles wird sich in den nächsten Konzerten noch fügen.

Schliesslich die Zweite Sinfonie von Johannes Brahms, die das Orchester erst im Frühjahr noch unter ihrem Ehrendirigenten Zinman gespielt hatte. Wenig überraschend klang denn auch manches altgewohnt. Umso bezeichnender, wo Järvi andere Akzente setzte – und wie alert und bereitwillig ihm das Orchester dabei folgte: Alles Motorische pointiert Järvi zusätzlich, bisweilen verlangsamt er hingegen ein Crescendo effektvoll. Wo er im Kopfsatz Gelegenheiten zum Atemholen auslässt, verharrt er im Allegretto-Satz überdeutlich auf notierten Zäsurpausen. Ein kontrastreiches Gestalten, das bei Brahms ästhetisch vielleicht doch weniger ergiebig ist als anderswo.

Vorbeihuschende Schatten

Zinman hat die Rolle des Dirigenten einst beiläufig mit der eines Springreiters verglichen. Er selbst konnte die Zügel seines Orchester-Pferds dank langjähriger Vertrautheit mit eleganter Lockerheit führen. Die dabei drohende Gefahr, sie ganz schleifen zu lassen, kennt Järvi bestimmt nicht, im Gegenteil: Er führt stellenweise so straff, dass ein Gefühl wie dasjenige ankündigungslos vorbeihuschender Schatten sich kaum einstellen kann – gerade solche Stimmungen wären jedoch für diese Sinfonie so charakteristisch.

Im Sattel macht Järvi jedenfalls jetzt schon eine gute Figur, und die Sympathie von Orchester und Publikum hat er bereits gewonnen. Da dürfen wir gespannt sein, wohin die grosse musikalische Reise führen wird, wenn die nächste Saison dann erst richtig beginnt. Für sie wie für die Asien-Tournee gilt: Gute Fahrt!

Saturday, October 20, 2018

Berliner Philharmoniker/Paavo Järvi – Lutosławski & Brahms [live webcast]

classicalsource.com
Colin Anderson
20.10.2018

Saturday, October 20, 2018 Berliner Philharmonie, Herbert-von-Karajan-Straße, Berlin

The Berliner Philharmoniker and Paavo Järvi (a regular guest) pounded their way into the ‘Intrada’ of the Lutosławski (1950-54), intensely moulding the lines and emphasising rhythms, taking the music out of the showpiece category and into the symphonic one, vividly detailed and emotionally engaging, Järvi (like Kirill Petrenko) making a wide-screen virtue out of antiphonal violins (double basses left-positioned), the Berliners delivering sonorous and sensitive playing, adding deftness and lightness of touch for the spectral ‘Capriccio notturno e Arioso’ in which expressive and passionate melody emerges from the flickering before Lutosławski returns to the fireflies of Bartókian night music. The final movement, ‘Passacaglia, Toccata e Corale’, is the longest of the three, to which Järvi brought seamless and increasingly active growth in the most momentous way (folk elements remaining in the mix), the Berliners precise in their togetherness, intricate balances and the exchanging of arabesques, akin to driving a fast car with Formula One cornering skills, while also being awed by mountainous (chorale) landscapes, to a spectacular chequered-flag conclusion.

I have previously had misgivings about Järvi’s approach to Brahms 2, exclusive to Deutsche Kammerphilharmonie Bremen renditions, live (BBC Proms) and recorded (link below), mostly to do with halting the flow in the first movement through “tempo tweaks” (I self-quote) and undue emphases. Whether I was forewarned or Järvi has modified his view, first of all he did not impose Bremen 'chamber' size on Berlin, this was the Philharmoniker at full strength, and there was much lyrical largesse to respond to, expressive leeway made natural without purloining direction, so – this time – it was a pleasure to experience the exposition once more (it's structurally important anyway), the playing glorious without being glutinous, horns and woodwinds delightfully exposed. If the animated development was that bit quicker it was also ardently related (stormy outbursts, terrific timpani rolls) to what had gone before, and, similarly, the coda emerged as suitably contented as an envoi. Following which the Adagio had time on its side for eloquence, intimacies and more-frank disclosures, to which the elegance of the oboe-led Allegretto with a well-made attacca and then nimbly contrasted with the strings’ nifty yet buoyant address. It was straight into the Finale, too – not heard these three movements taken as-one before – fast-paced, yes, but so poised, and with reflection not overlooked, all adding up to an exhilarating coda, totally the more effective for its organic arrival. A long ovation ensued, and when Järvi returns to Berlin later this season the menu’s main course is another Second Symphony, Bruckner’s.

Friday, October 19, 2018

JUST LIKE JOHNNY CASH

stagescreen.wordpress.com
Sascha Krieger
19.10.2018

Paavo Järvi dirigiert die Berliner Philharmoniker mit Werken von Brahms und Lutosławski

Es gibt Dirigenten, bei denen es schwer ist, unter all der Show die Substanz zu entdecken. Es gibt die Sachlichen, Trockenen, die ernsthaften Partiturarbeiter, bei denen unter lauter Tiefenschürfen die Freude an der Musik zu verschwinden droht. Es gibt solche, die mit großer Gestik auf den maximalen Effekt zielen und jene, die tief schürfen, analysieren, die Partitur zum Forschungsobjekt machen und den Konzertsaal zum Labor. Und dann gibt es Paavo Järvi. Der Este ist einer, der zum Punkt kommt, nicht lange fackelt, für den Effekt und Analyse einander bedingen, ein Wirkungsdirigent, der in der Partitur gräbt, und für den es nur eines nicht gibt: alles, was keine musikalische Funktion erfüllt. Ein „no-bullshit conductor“, könnte man im für solche nicht beleidigende Direktheit besser geeigneten Englisch sagen. Und nein, „Bullshit“ gibt es an diesem Abend mit den Berliner Philharmonikern nicht zu hören. Keine zwei Stunden, das mittlerweile fast obligatorische Limit, dauert er. Dann ist alles gesagt. „When my song’s done, it’s done“, hat Johnny Cash einmal gesagt. Paavo Järvi, der Johnny Cash unter den Dirigenten? Ja, vielleicht auch das.

Paavo Järvi (Bild: Julia Bayer)

Cash, so weiß man, war ein Mann des Dunklen. Einer, der populärste Musik machte, in der immer irgendwo ein schwarzer Schatten blieb, der über Liebe sang und in einer Ecke die ganze Last menschlicher Existenz verbarg. Und der den „bullshit“ ebenso haste, der keine show machte, sondern Musik. Damit kommt man der Essenz dieses Konzertprogramms schon recht nahe. Vor allem nach der Pause, wenn Johannes Brahms‘ vermeintlich „leichte“, lange als „pastoral“ missverstandene zweite Symphonie auf dem Programm steht. Bei Järvi ist die Dunkelheit, ist der Abgrund in jedem Moment sicht- und hörbar. Da kann der Kopfsatz noch so hell leuchten, das Licht klar aus allen Instrumenten singen, der Este findet stets die kleinen Schattierungen, die kaum erkennbaren Verdunkelungen, die oft flüchtigen Andeutungen einer Moll-Wendung. Er stellt sie nicht aus, aber er lässt das hellwache Orchester die kleinen Abzweigungen nehmen, die sie schnell wieder auf den „rechten Weg“ zurückführen, aber nicht ohne, dass da etwas bleibt. Er spielt mit Vorder- und Hintergrund, findet Ambivalenzen, Ungewissheiten und führt sie in eine ungeahnte Schärfe und Härte, die gegen Ende des ersten Satzes näher bei Schostakowitsch ist als beim hier wohl Pate stehenden Schubert. Bei aller Leichtigkeit, allem unbeschwertem Gesang, den der Dirigent seine Musiker*innen zelebrieren lässt wie kaum ein anderer, ist die dunkle Seite der Welt nie weit.

Keine Freude ohne Schmerz: Dieses Motto verfolgt diese Interpretation auch in den weiteren drei Sätzen. Im langsamen zweiten beleuchtet Järvi die unterschiedlichen Klangschichten, stellt der hellen Oberfläche eine dunkle , erdige Grundierung zur Seite, findet plötzliche, unerwartete Kippbewegeungen, subtile, sanfte Hell-Dunkel-Wechsel, die das Geschehen in der Schwebe halten. Ein berührender Gesang, ein zartes Tänzchen in Sichtweite des Abgrunds. Sehr ähnlich der beschwingte, vielstimmige und vielfarbige dritte Satz. Hier entfaltet das Orchester ein enormes Spektrum , ein buntes Klangbouquet, das stets, wie im zweiten, zu Kippen droht. In Bedrohung und gar Gewalt, wie sie sich erschütternd gegen Ende des langsamen Satzes zeigte, oder auch in Richtung Stille, Auflösung, Nichts. Die Lebensmitte muss sich stets der Ränder erwehren. Und mit ihnen leben. Das potenziert sich noch einmal im Finale: Frei und zauberhaft die Momente des Durchatmens, des hoffnungsvollen Singens, wild, rasend die Lebensenergie. Das kann jeden Moment in Gewalt umschlagen, in Auslöschung. Zurücknahme steht neben träumerischem Tanz, Freude neben Angst, Strahlen neben Dramatik. Zuweilen reduziert Paavo Järvi den Klangapparat so weit, dass er klingt wie hinter Glas. Auch dies eine Vision des Verschwindens. Der unbeschwerte Lebensfeier findet hier am Krater eines Vulkans statt. Das ist ganz in Brahms‘ Sinne.

Und folgt direkt aus dem ersten Teil des Abends, Witold Lutosławskis Orchesterkonzert, dem Höhe- und Endpunkt seiner frühen Schaffensphase. Ein Werk, das der Este sein Orchester mit ungebremster Wut ins Publikum schleudern lässt. „No-bullshit“ der beginn: die Streicher staubtrocken, die Farben bis ins extreme entsättigt, baut sich eine musikalische Geisterwelt auf, die sich später im Brahms mit plötzlichen Entfärbungen und Schwenks ins Sachliche immer wieder finden lässt. So karg der klang, so körperlich das Spiel. Wenn es laut wird, ist es angesichts extremer Verdichtungen kaum auszuhalten, ein Sprengsatz, der jeden Moment losgehen kann. Ist es ruhiger schweben Einzelstimmen, etwas Daishin Kashimotos Violine oder Emmanuel Pahuds Flöte im Raum, rufen sich wie von fern zu und entfernen sich doch immer weiter. Die Spannung zwischen Gewalt und Auflösung auch hier, doch ohne die Momente des sich in die Musik Hineinträumens wie bei Brahms. Flink hebt der zweite Satz an, hüpfend, tänzelnd. Doch auch hier die Vereinzelungen, die Angst vor dem verschwinden und zugleich die Ballung der Lebensfülle, in ihr Gegenteil zu fallen drohend. Kakophonische Momente lassen das ende nahe erscheinen und sind doch nur Augenblicke. Das Helle löst das Dunkle ab und umgekehrt. Deutlich der Kontrast zwischen lichtem Capriccio und düsterem Arioso. Das Satzende gehört dem Schlagwerk, das leichtfüßig hüpft und gleichzeitig klare Grenzen einzieht.

Der Schlusssatz ist dann ganz Unruhe und Binnenspannung. Alle Kontraste verstärken sich: Tempi, Dynamik, Klangfarben, das Spiel von Transparenz und Verdichtung. Alles ist Gegensatz, die Lyrik herzergreifend, die explosive Gewalt erbarmungslos (auch hier denkt der Hörer unweigerlich an Schostakowitsch). Die Holzbläser singen beschwingt und schreien im gleichen Moment grell. Alles ist sein Gegenteil, das Helle dunkel, das Freudige schmerzvoll, die Hoffnung voller Gewalt. Das Klangbild öffnet und schließt sich, Licht durchflutet den Saal und wird ausgeknipst. Das Ende ohne Hoffnung, brutal, effizient. Und doch nicht der ende. denn nun kommt Brahms und das Rad dreht sich weiter. Möge es nie still stehen. Denn auch bei Johnny Cash galt: Nach jedem Zweiminuten-Song kommt schon der nächste. Where there’s life there’s hope, heißt ein oft wiederholter Satz. Dort, wo es Musik gibt, sowieso. No bullshit.

https://stagescreen.wordpress.com/2018/10/19/just-like-johnny-cash/?fbclid=IwAR3NCT_2xtl8Ytm0BxY4DMDu_MBc1Qscja2VW8LiOHAveILy5y3yGr4XmOI

Unruhegeister

tasgesspiegel.de
Christiane Peitz
19.10.2018

Ein Dirigent, der weiß, was er will: Paavo Järvi leitet ein Konzert der Berliner Philharmoniker.

Klare Vorstellungen: der Dirigent Paavo Järvi.FOTO: KAUPO KIKKAS

Manchmal kommt Kunst von Klarheit: Paavo Järvi weiß, was er will. Wenn der 58-jährige Maestro aus Estland Witold Lutoslawskis Konzert für Orchester mit unmissverständlicher Diktion, ja Schärfe angeht, lässt er dennoch nie Kaltblütigkeit walten. Järvi versteht es vielmehr, mit seinem Elan und seiner meisterlichen Souveränität die Berliner Philharmoniker zu elektrifizieren. Schon im irrwitzigen 9/8-Eröffnungssatz setzen die Streicher ihre Bögen derart unerbittlich an, als wollten sie die Saiten zum Reißen bringen. Nicht um der Gewalt, sondern um des Ausdrucks willen, einer existenziellen, zerquälten Unruhe, die im Capriccio mit seinen flirrenden Sechzehnteln und zefledderten Motiven eigentümlich entkörperlichte Schemen hervorbringt.

Das von 1950 bis 1954 entstandene letzte, noch nicht aleatorische Frühwerk des polnischen Komponisten ist von einer latenten Bedrohung gefärbt, einem unterschwelligen Terror, der sich immer wieder Bahn bricht und noch den Bläserchoral nach dem gezupften, abgrundtiefen Passacaglia-Thema der Kontrabässe zum Zerrbild entstellt. Järvi betreibt die Mechanisierung der Musik, lässt die Philharmoniker aber auch zum Maschinensturm blasen und rettet das menschliche Maß, indem er dessen heillose Gefährdung offenlegt. So kantig und diszipliniert Järvi den Orchesterapparat mitunter befehligt, mit unter Hochspannung zuckenden Gliedern, es sind dann doch die losen Enden zum Schluss des Eröffnungssatzes, die einen besonders bewegen. Diese versprengten, hastig zusammengefegten letzten Reste von Harmonie und Intimität.

Die Konzertmeister stecken leidenschaftlich ihre Köpfe zusammen

Nach der Pause geht Järvi die 2. Sinfonie von Johannes Brahms im Geiste Lutoslawskis an. Schon das eröffnende Kontrabass-Motiv, die schwankende kleine Sekunde, evoziert Lutoslawskis Passacaglia-Thema. Sie ist eben keine Begleitfloskel, sondern ein Menetekel. Von wegen wegen heiter-behaglicher Brahms: Järvi kehrt die verdüsternden Störmanöver hervor und wählt langsame Tempi, sodass Brahms’ charakteristische Duolen-Triolen-Rhythmik erst recht zur Zähflüssigkeit beiträgt. Es rumort – unentwegt.

In seiner letzten Chefdirigenten-Saison hatte auch Simon Rattle es mit einem harschen, gnadenlosen Brahms versucht, er konnte nicht überzeugen. Järvi hält die Balance zwischen Schönheit und Schrecken, verleiht schon dem somnambulen Cello-Bratschen-Seitenthema im 1. Satz utopischen Charakter. Schön zu sehen, wie einmütig die Philharmoniker mit Järvi musizieren, mit welcher Leidenschaft allein die Konzertmeister Daishin Kashimoto und Noah Bendix-Balgley die Köpfe zusammenstecken.

https://www.tagesspiegel.de/kultur/paavo-jaervi-bei-den-berliner-philharmonikern-unruhegeister/23209340.html

Friday, October 12, 2018

Start of a Golden Age for Tonhalle Orchestra Zurich

seenandheard-international.com
John Rhodes
12.10.2018

Switzerland Liszt, Mahler: Zee Zee (piano), Tonhalle Orchestra Zurich / Paavo Järvi (conductor), Tonhalle Maag, Zurich, 11.10.2018. (JR)

Paavo Järvi © Kaupo Kikkas

Liszt – Piano Concerto No.1 in E♭ major S.124
Mahler – Symphony No.5

Paavo Järvi does not – strictly speaking – become Chief Conductor of the Tonhalle Orchestra until next season, but it is already evident that the orchestra’s management has chosen Lionel Bringuier’s successor wisely. This was the first of Järvi’s concerts before his official start; however, it virtually felt like the start of his tenure. (He will also take the orchestra on a tour of Asia later this month). If this was the first day of his honeymoon with the orchestra, then married life will look rosy, if the cheering after the Mahler symphony was anything to go by.

First, I must tell you about the Liszt and Zhang Zuo, also known as Zee Zee. Zee was a BBC Young Generation Artist a few years ago and for a couple of seasons and now, aged 30, plays with many a prestigious orchestra; she is something of a Paavo Järvi favourite at the moment. Zee started her piano lessons in Germany but then returned to China. At this moment, her teacher is none other than Alfred Brendel.

It cannot be easy deciding what to programme before a monster of a Mahler symphony, what with Mahler’s extraordinary palate of layered sounds, but Liszt seems like an especially tricky composer to pull off in that connection. Between the two, Liszt’s eruptions sound more hilly than mountainous, and the thematic material is stated almost matter-of-factly if you hear it next to Mahler’s combination of weight and mysticism.

Zee approached Liszt’s First Piano Concerto with an unhurried intimacy in the in-between passages, and with full virtuoso flight in the showier parts. Her sound was not delicate, which works for this composition, though I wonder what colours she evokes when her commanding iciness is not called for. There is a high-octave fit of extensive tickling trills in the second movement, which Zee played excellently: heavily enough to rattle, lightly enough that it flew. Her encore (‘Tarantella’), also by Liszt, had similar right-handed ice, too much perhaps.

That intimacy of play – subtler dynamics, a hint of languor in the tempi – showed Zee as a sensitive and intelligent interpreter but came at the price of the whole work’s thrust. Järvi kept his ensemble on a tight leash for the Liszt opener, and their cumulative sound in the third movement was oddly bland, even in tutti climaxes. It was not necessarily more volume I was hoping for, but more arch in the arguments along the way. That said, Järvi and his instrument groups found a fresh sound each and every time the well-known theme arrived, and showed it shifting from grand to sly to fateful with aplomb.

When, from 2006 until 2014, Järvi was in charge of the Frankfurt Radio Symphony Orchestra (now called the hr-Sinfonieorchester – ‘hr’ standing for Hessischer Rundfunk), that orchestra, so I am told by musical locals, went through something of a Golden Age. Most orchestras, like civilisations, have their peaks and troughs; it looks to me as though the Tonhalle Orchestra is about to embark on an upward curve, bringing not only higher (and hopefully younger) audience numbers (especially when they return in 2020 to their newly renovated home, the Tonhalle) but also a renewed vigour and, above all, a sense of enjoyment. This was already palpable in this concert. The performance – and the orchestra’s playing – was, in a word, sensational.

Järvi is, of course, an experienced and charismatic conductor, especially in Mahler, Bruckner, Sibelius, Shostakovich and Nielsen (I believe he bravely started his tenure in Frankfurt with a Nielsen Sixth Symphony, a largely unknown and unfathomable work, hardly likely to please the masses).

Järvi’s conducting of the Mahler was vigorous, one could even say virile, but without show; he picked up on many nuances to highlight the pathos and anxieties in the work, from anguished shrieks in the woodwind to the blare of the brass. He positioned the sections of the orchestra carefully, harp not too far back for the Adagietto, and solo horn (Ivo Gass) standing alone, far from the rest of his section, for his outstanding contribution in the Scherzo. Gass was simply splendid; no wonder he makes the ranks of the Lucerne Festival Orchestra.

In the opening movement, Philippe Litzler was the faultless trumpeter, whilst the entire horn section covered themselves with glory. Järvi’s treatment of the stormy second movement was vehement, coaxing every ounce of emotion from the strings. The Adagietto was not too saccharine, and not too slow as some conductors are prone to do for added effect; the audience at one point seemed to have stopped breathing – even the autumnal coughers were silenced. The final movement led us swiftly to the final climax, which, with Christian Hartmann’s skills on the timps, brought the house down.

At the end of the symphony, large sections of the audience (a full house) erupted; the orchestra seemed stunned. Järvi beamed. He could sense he too had made a wise choice. He picked out some of the players who had helped to make this performance memorable but he also knew he was going to be in charge of a fine orchestra, which will follow his instructions to the letter. As I say, a Golden Age beckons.
http://seenandheard-international.com/2018/10/start-of-a-golden-age-for-tonhalle-orchestra-zurich/

Standing Ovation für Paavo Järvi am Tonhalle-Orchester

aargauerzeitung.ch
Sibylle Ehrismann
12.10.2018


Paavo Järvi dirigierte das Tonhalle-Orchester mit souveräner Übersicht und genoss die nach Ländler klingenden Stellen. Brescia e Amisano

Der künftige Chefdirigent Paavo Järvi entfachte mit dem Tonhalle-Orchester Zürich helle Begeisterung.

Die Spannung konnte man förmlich greifen: Paavo Järvi trat nach seiner Wahl zum designierten Chefdirigenten auf die Saison 2019/20 erstmals wieder mit dem Tonhalle-Orchester Zürich auf. Mit Mahlers «Fünfter» entzündete er im ausverkauften Saal grosse Begeisterung.

Die Wahl Paavo Järvis liess 2015 aufhorchen. Vor ihm hatte der noch relativ junge Franzose Lionel Bringuier die schwierige Nachfolge des langjährigen Chefdirigenten David Zinman angetreten. Mit Bringuier wollte man, zusammen mit der neuen Intendantin Ilona Schmiel, einen Generationenwechsel einläuten. Doch er war diesem hochkarätigen Chefposten nicht gewachsen, nach nur vier Jahren nahm diese Episode ein Ende.

Doch vielleicht war diese Interimszeit nach Zinman gar nicht so schlecht, nun suchten andere Kräfte nach einem neuen Chef. Dass jetzt ein Künstler aus Osteuropa das künstlerische Zepter übernehmen wird – Järvi stammt aus Estland –, ist nach dem US-Amerikaner Zinman ein interessanter Aspekt.

Erfahrung und Netzwerk

Paavo Järvi ist der Sohn des renommierten Dirigenten Neeme Järvi und er bringt ein spannendes, für Zürich neues Beziehungsnetz mit. Er ist seit 2015 Chef des NHK Symphony Orchestra in Tokio, war bis zum Sommer 2016 Chef des Orchestre de Paris und ist Künstlerischer Leiter der Deutschen Kammerphilharmonie Bremen.

In Frankreich hat man ihn bereits zum «Commandeur de l’Ordre des Arts et des Lettres» ernannt. Ihm scheint also die Französische Musik ein Herzensanliegen zu sein. Riskant, aber hoch interessant ist sein Vorhaben, diese Saison in Zürich in seinen Gastkonzerten schwerpunktmässig Olivier Messiaen zu dirigieren: im Januar «Les offrandes oubliées» und «Le tombeau resplendissant» und im April das Stück «L’Ascension».

Kommt dazu, dass Paavo Järvi der asiatische Raum vertraut ist, von seiner Arbeit in Tokio her. Die grosse Asien-Tournee, die er nun zum 150-Jahr-Jubiläum der Tonhalle-Gesellschaft Zürich am 21. Oktober antritt, führt das Orchester in «seine» Welt, mit Konzerten in China, Taiwan und Südkorea.

Eines der beiden Tournee-Programme präsentierte Järvi im Konzert vom Mittwoch. Dabei debütierte Zee Zee, das «Klavierwunder aus China», mit dem Tonhalle-Orchester, sie spielte Franz Liszts Klavierkonzert Nr. 1 Es-Dur. Der zweite Teil galt Gustav Mahlers gewichtiger Sinfonie Nr. 5 cis-Moll.

Die junge Chinesin Zee Zee hat bereits eine steile Karriere gemacht, auch dank ihres Mentors Alfred Brendel. Mit Paavo Järvi hat sie übrigens schon öfter musiziert. Was sie nun in Zürich darbot, grenzte tatsächlich an ein Wunder. Unerhört, mit welcher Leichtigkeit sie die weit ausholenden Arpeggien Liszt’s hinhauchte, wie sie dabei anschlagstechnisch raffiniert dosierte, um dann in den rasend schnellen Oktav-Kaskaden schwung- und kraftvoll drauflos zu donnern. Das war keine technische Show, sondern musikalisch durchdrungenes Spiel mit der höchsten Virtuosität, wobei es auch zu ganz zauberhaften, ja magischen Momenten kam. Schade, dass es in der Koordination mit dem Orchester ein paar Unstimmigkeiten gab.

Begeisterung auch beim Orchester

Doch die Freude des Publikums war entfacht, der Applaus war grossartig. Nach Mahlers Fünfter aber waren die Zuhörer erst recht aus dem Häuschen. Paavo Järvi disponierte diese gross besetzte, fünfteilige und rund 70-minütige Sinfonie mit souveräner Übersicht und schaffte es auch, den eher «engen» Saal akustisch nicht zu überfordern.

Die Tempi nahm er extrem, entweder sehr langsam oder sehr schnell, und die Zurücknahme ins Pianissimo, in die jeweilige Ruhe vor dem Sturm, hatte Spannung. Er überzeichnete auch das Karikierende nicht, was sonst bei Mahler gerne vorkommt, indem die Synkopen gerne deutlich überdehnt werden; Järvi liess sie ganz natürlich laufen.

Die 5. Sinfonie wird hauptsächlich von den Bläsern getragen, die Blechbläser sind sehr exponiert, auch solistisch, und die Holzbläser sorgen für kecke Einschübe. Die Tonhalle-Bläser waren ganz in ihrem Element und spielten nicht nur technisch sehr sauber, sondern einfach hinreissend. Järvi koordinierte ruhig, genoss die «ländlerischen» Stellen sichtlich und führte stringent durch die vielschichtige und kontrastreiche Partitur. Zum Schluss waren alle hell begeistert, das Publikum wie auch das Orchester.

Nächstes Konzert: Freitag 12. 10. Paavo Järvi, Tonhalle-Orchester, Solistin Khatia Buniatishvili (Klavier). Debussy, Rachmaninow, Brahms.

https://www.aargauerzeitung.ch/kultur/musik/standing-ovation-fuer-paavo-jaervi-am-tonhalle-orchester-133570918

Thursday, October 11, 2018

Je grösser die Herausforderung, desto mehr glänzt der Maestro

nzz.ch
Thomas Schacher
11.10.2018

Das Publikum strömte zu dem Konzert, mit dem Paavo Järvi, der künftige Chefdirigent des Tonhalle-Orchesters, quasi seinen Einstand gab – und die Zeichen für die Zukunft stehen gut. Järvi erwies sich als sensibler Koordinator und souveräner Gestalter.



Mit sicherer Hand weiss Paavo Järvi auch Mahlers gewaltige Klanglandschaften zu formen. (Bild: Brescia e Amisano)

Offiziell beginnt die Amtszeit von Paavo Järvi als Chefdirigent und Musikdirektor des Tonhalle-Orchesters erst in einem knappen Jahr. Doch Järvi gastiert bereits in der Saison 2018/19 mit vier Programmen in Zürich und gibt damit einen Vorgeschmack auf das, was von ihm in Zukunft zu erhoffen ist.

Mit grosser Spannung erwartete man deshalb den ersten Auftritt des estnischen Dirigenten vom vergangenen Mittwoch, dem der Charakter eines De-facto-Einstands zukam. Der Konzertsaal in der Tonhalle Maag war so gut wie ausverkauft, das Tonhalle-Orchester spielte mit der ersten Garnitur seiner Mitglieder. Und Järvi – das sei vorweggenommen – erfüllte die hochgesteckten Erwartungen mehr als genug, ja am Schluss des Konzerts wurde er vom Publikum für Zürcher Verhältnisse geradezu euphorisch gefeiert.

Strukturbewusstsein

Mit Franz Liszts erstem Klavierkonzert und Gustav Mahlers fünfter Sinfonie hat Järvi zwei zentrale Kompositionen des europäischen Repertoires aus dem 19. Jahrhundert ausgewählt. Dass das Klavierkonzert quasi als Vorprogramm für die Sinfonie dient, ist für die chinesische Pianistin Zee Zee, die an diesem Tag ihren 30. Geburtstag feiert, gewiss kein Vorteil. Und da sie zum ersten Mal bei der Tonhalle-Gesellschaft auftritt, hat sie auch noch keine Fangemeinde. Trotzdem schafft sie es binnen zwanzig Minuten, die Sympathien des Publikums für sich zu gewinnen. Der Charakter des Es-Dur-Konzerts, das den Spagat zwischen virtuoser Klavierfantasie und Sinfonischer Dichtung schlägt, kommt ihr dabei sehr entgegen. Das energische Dreinfahren liegt ihr gleichermassen wie das Ausbreiten einer zarten Melodie oder das neckische Herumhüpfen auf den Tasten.

Järvi sorgt mit sehr klarer Zeichengebung für die perfekte Koordination zwischen Soloinstrument und Orchester und verbindet die vier Sätze des Werks zu einem kohärenten Ganzen. Allerdings offenbaren sich die spezifischen Qualitäten des Dirigenten bei Liszt noch nicht im vollen Masse. Dafür muss man sich bis zur Mahler-Sinfonie gedulden. Und auch beim ersten Satz dieser cis-Moll-Sinfonie, dem Trauermarsch, sind es zunächst die dirigiertechnischen Fähigkeiten und das Strukturbewusstsein Järvis, die beeindrucken. Die Triolen des Marschthemas erklingen messerscharf, die verschiedenen Rhythmen des polyfonen Geflechts sind astrein aufeinander abgestimmt.

Bei den Tempi berücksichtigt Järvi durchaus die von Mahler geforderten Beschleunigungen und Beruhigungen, aber mit Mass, so dass der Satz nicht in seine Einzelteile auseinanderbricht. In der Dynamik dagegen forciert er die Extreme des Lärmig-Lauten und des ganz Zurückgenommenen, was im Vergleich zur Tempogestaltung eine wirkungsvolle Spannung erzeugt.

Es braucht dann das in jeder Beziehung radikale Scherzo, um Järvis Dirigierpersönlichkeit wirklich herauszufordern. Bei diesem Monstersatz von 819 Takten handelt es sich nicht um einen lockeren Zwischensatz, sondern um ein Gebilde, das Mahlers Verständnis von «Welt» exemplarisch zeigt. Der Satz beginnt als lieblicher Wiener Walzer, schlägt in den Trios den Tonfall der Wunderhorn-Lieder an, ufert indes in den Hauptteilen immer mehr aus und endet in einer Art von organisiertem Chaos. Järvi bringt diesen Kosmos in all seinen Extremen zum Klingen. Er findet hier einen ganz direkten Kontakt zum Tonhalle-Orchester, der sich auch in lebhafter Mimik und Körpersprache äussert. Die Musikerinnen und Musiker sind, bis zu den hintersten Pulten, ganz Auge und Ohr und steigern sich zur Höchstform.

In eine entrückte Welt des Schönen führt das berühmte Adagietto, wo die Stunde der Streicher und der Harfe schlägt. Järvi zaubert hier eine berührende Abschiedsstimmung herbei, was angesichts der Nähe dieses Satzes zum Lied «Ich bin der Welt abhanden gekommen» genau in der Intention des Komponisten liegt.

In der Welt verhaftet

Und dann? Was kommt nach dem Abschied von der Welt? In der zweiten Sinfonie feiert Mahler die Auferstehung als grossangelegtes Chorfinale. In der Vierten lässt er, nicht ohne Ironie, ein himmlisches Schlaraffenland erstehen.

In der Fünften gibt er sich weltlicher, obwohl im Rondo-Finale zum Schluss ein Choral auftaucht. Wie man diesen Schlusssatz deuten soll, darüber scheiden sich die Geister. Järvi sucht nicht die metaphysische Überhöhung. Wenn am Schluss im Blech der Choral erscheint, lässt er ihn nicht plakativ herausposaunen, sondern bettet ihn in die rasenden Figuren der Holzbläser und der Streicher ein. Järvi bleibt sozusagen innerhalb der Welt, wobei er die Utopie einer säkularen Harmonie heraufbeschwört.

Fairy dust and explosives: Paavo Järvi conducts Liszt and Mahler in Zurich

bachtrack.com
Sarah Batschelet
11.10.2018

Paavo Järvi officially takes up his position as Chief Conductor of the Tonhalle Orchester Zürich in the 2019/20 season. In the interim, though, he will periodically guest-conduct at the Tonhalle Maag, the venue that has been refitted for use by the orchestra until its historic hall (1885) on the Lake of Zurich shore has been renovated. What’s more, the Estonian conductor will be at the helm on the orchestra’s Far Eastern autumn tour.

Paavo Järvi
© Kaupo Kikkas

The evening at the Maag began with Franz Liszt’s Piano Concerto no. 1 in E flat major, a work which was crafted over a 26-year period and premiered in 1855 in Weimar with the composer as soloist and Hector Berlioz conducting. Here in Zurich, the choice of Chinese pianist Zee Zee (Zhang Zuo) couldn’t have been better. The Los Angeles Times has cited her as “a powerful, passionate and compelling representative of pure artistry”. Even in the very first bars of the concerto’s first movement, the piano part spans four octaves, but she ably delivered precision at speed, her silky black hair jagging behind her as she snapped back to an upright position. A duet with a superb principal clarinet moderated the turbulence, but set the stage for Zee Zee to evoke another full spectrum of sounds, ultimately as varied as from dynamite to fairy dust.

In the concerto’s second movement, she again alternated a showy explosive with a tender playfulness, the flute, oboe and clarinet offering fine counterpoint. The third movement harbours passages that many pianists consider the most difficult ever written for their instrument. Although Zee Zee slightly pushed ahead of the orchestra a few times, her handling of the challenging tempi changes was commendable. Järvi’s clear eye-contact with her signalled his support, which made her reaction to the thunderous applause at the end of the concerto somewhat perplexing. As modest as she was, the pianist first greeted the audience with a face that read, “What? You really liked me?” It was both humble and infectious. What’s more, in her Debussy encore, she evoked prisms of light as if making sheer magic underwater.

After the interval, Gustav Mahler’s Fifth Symphony demanded the full contingent of Tonhalle players. Herbert von Karajan once said that “a great performance of the Fifth is a transforming experience,” in no small part because the work charts the development of the love Mahler had for Alma Schindler, who was to become his wife.

Järvi took the first movement more slowly than usual. It’s a funeral march, granted, but this one ran right close to a flow of molasses. Nevertheless, the fine trumpet solo and percussion section’s strong showing were compelling embellishments. What’s more, in the absence of the Steinway after the Liszt, we had a much better view of Järvi at work. From the start, he showed himself solidly core-centric, not inclined to great drama, but to a strong physicality that translated into pointed and muscular direction instead.

In the cello solo in the second movement and the vigorous explorations of the brass and woodwinds’ “great vehemence”, the orchestra also excelled. At times, one could read the score’s indications for vibrato in the musicians’ bodies alone. In the monumental third movement, the superb horn soloist was assigned a special place to command more attention, giving him an almost cinematographic presence. And here, too, the conductor used his baton evocatively, “digging” with it to prompt the various instrument groups and vibrating his limbs to expand the resonance of select passages.

The famous Adagietto wove the richest possible orchestral tapestry, and highlighted both a celestial harp and the slightly restrained pacing that fills the listener with the thrill of anticipation. That contrasted with the jolly start of the finale, which went on to parade a fine bassoon. Järvi’s repeated sweep of his palm over his pate showed the Mahler as a truly vigorous athletic workout for any conductor. But the Estonian’s command of the huge configuration was superb, and his rapport with the group seemed as amenable as it was supportive. Expectations are always great on the occasion of a conductor’s new posting, as well they should be. The Zurich public and the Tonhalle’s audience look forward to the Järvi era.

Wednesday, October 03, 2018

Zwei Dirigenten, zwei Perspektiven

deutschlandfunk.de
Marcus Stäbler
3.10.2018

Die Staatskapelle Berlin und Daniel Barenboim stehen für die Tradition des dunklen, opulenten Klangs. Paavo Järvi und die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen sind dagegen für ihre schlanken Interpretationen bekannt. Dieser spannende Kontrast offenbart sich auch in den neuen Brahms-Einspielungen

Johannes Brahms (picture alliance / dpa)

Musik: Johannes Brahms, 1. Sinfonie, 1. Satz, Staatskapelle Berlin

Wuchtig und voluminös beginnt die langsame Einleitung aus der ersten Brahms-Sinfonie in der Aufnahme mit der Staatskapelle Berlin unter Daniel Barenboim. Paavo Järvi und die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen schlagen einen ganz anderen Ton an. Der Klang ist heller, das Tempo rascher und das Pochen der Pauke stärker abgesetzt.

Musik: Brahms, 1. Sinfonie, 1. Satz, Dt. Kammerphilharmonie Bremen

Zwei verschiedene, teilweise gegensätzliche Sichtweisen auf Brahms, präsentiert von zwei Top-Orchestern mit einer ganz unterschiedlichen Geschichte und Philosophie. Diese beiden Aufnahmen möchte ich Ihnen heute vorstellen und miteinander vergleichen – und damit am Tag der Deutschen Einheit auch einen Blick auf die Vielfalt der hiesigen Orchesterlandschaft werfen.

Die Staatskapelle Berlin blickt auf eine beinahe 450 Jahre währende Geschichte zurück und gehört damit zu den ältesten Orchestern der Welt. Sie verkörpert die deutsche Tradition wie kaum ein anderer Klangkörper. Diese Tradition beschwört der Chefdirigent Daniel Barenboim auch mit der aktuellen Gesamtaufnahme aller vier Brahms-Sinfonien, die bei der Deutschen Grammophon erschienen ist.

Gewichtiger Brahms bei Barenboim

Barenboim setzt generell auf einen dunklen und wuchtigen Klang, sein Brahms hat Gewicht. Auch in den schnellen Passagen der ersten Sinfonie.

Musik: Johannes Brahms, 1. Sinfonie, 1. Satz, Staatskapelle Berlin

Daniel Barenboim und die Staatskappelle Berlin musizieren den Beginn der ersten Brahms-Sinfonie mit romantischer Schwere. Jeder Schritt scheint Kraft zu kosten, als hätte Brahms nicht nur den übergroßen Schatten des Vorbilds Beethovens gespürt, sondern den Titanen bei der Komposition auf den eigenen Schultern mitgeschleppt.

Paavo Järvi und die Deutsche Kammerphilharmonie zeichnen in ihrer Aufnahme beim Label RCA ein anderes Bild vom ersten Satz. Bei ihnen steht das Vorandrängen im Vordergrund, die Musik bekommt eine jugendliche Energie und Frische.

Musik: Johannes Brahms, 1. Sinfonie, 1. Satz, Dt. Kammerphilharmonie Bremen

Paavo Järvi bremst hier etwas ab, um den bodenständigen, beinahe volksmusikantischen Charme der Passage hervorzuheben. Eines von vielen Beispielen für die Flexibilität der Aufnahme und des Klangkörpers. Järvi und seine hellwache Kammerphilharmonie überraschen mehr als einmal mit bisher unerhörten Details, ihre Interpretation weicht stark vom Brahms-Bild des späten 20. Jahrhunderts ab, das noch von Dirigenten wie Herbert von Karajan geprägt war. Deshalb wirkt Järvis Ansatz paradoxerweise moderner als der von Barenboim, obwohl er deutlich näher am historischen Originalklang bleibt.

Die Kammerphilharmonie spielt in einer Besetzung von 35 Streichern, so wie es Brahms von den Orchestern seiner Zeit im Ohr hatte, die Aufnahme der ersten Sinfonie ist im Kurhaus Wiesbaden entstanden, wo der Komponist selbst einmal seine Dritte dirigiert hatte. Gut möglich also, dass die zeitgenössischen Hörer der ersten Sinfonie eine so schlanke Interpretation des Andante sostenuto erlebt haben wie sie Paavo Järvi mit seinem Orchester formt.

Musik: Johannes Brahms, 1. Sinfonie, 2. Satz, Dt. Kammerphilharmonie Bremen

Järvi rückt Brahms in neues Licht

Aus der idyllischen Stimmung des Andante sostenuto sticht hier und da eine Flamme hervor, die ein untergründiges Feuer erahnen lässt. Das ist die Grundhaltung, mit der Paavo Järvi und die Kammerphilharmonie Bremen einen Großteil der ersten Brahms-Sinfonie musizieren. Ihre Lesart rückt den Komponisten in ein neues Licht. Mit der klassischen Formstrenge der Partitur scheint er ein Temperament zu disziplinieren, das sich auf vielfältige Weise Bahn bricht. Im dritten Satz etwa bündelt sich die Energie zu einer mitreißenden Steigerung. Sie strebt in mehreren Anläufen auf ihren Höhepunkt zu.

Musik: Johannes Brahms, 1. Sinfonie, 3. Satz, Dt. Kammerphilharmonie Bremen

Dieses hitzige Moment ist bei Järvi auch im Finale der ersten Brahms-Sinfonie präsent, wenn die Musik stellenweise fast schon atemlos voran stürmt.

Musik: Johannes Brahms, 1. Sinfonie, 4. Satz, Dt. Kammerphilharmonie Bremen

Ganz so außer sich wie hier gerät die Musik in der Konkurrenzaufnahme der Staatskapelle Berlin unter Daniel Barenboim nicht, sie schlägt ein maßvolleres Grundtempo an und bleibt in den Steigerungen stärker gezügelt.

Musik: Johannes Brahms, 1. Sinfonie, 4. Satz, Staatskapelle Berlin

Daniel Barenboim wahrt auch in feurigen Passagen ein Mindestmaß an Contenance, der Klang bleibt immer rund und geschlossen. Dennoch ist die Einspielung aus Berlin alles andere als behäbig, sie verströmt bloß eine größere Ruhe. Und auch aus der erwächst eine gewaltige Sogkraft. Weil Barenboim und sein Orchester jede Phrase auf ihr Ziel hinführen und mit einem reich nuancierten und satten Klang füllen – die Staatskapelle spielt mit fünfzig Streichern, ist also in dieser Gruppe um etwa ein Drittel größer besetzt als die Kammerphilharmonie.

Trotz des ziemlich massigen Aufgebots und einem mitunter spürbaren Hang zum Monumentalen, schafft Barenboim mit seinen Musikern durchaus auch wunderbar intime Momente. Etwa im Andante, in dem sich Daniel Barenboim viel Zeit nimmt, um die Piano-Schattierungen auszukosten. Die Musik wirkt hier zu Beginn ganz in intim und zärtlich, als würden die Bögen die Saiten liebkosen.

Musik: Johannes Brahms, 1. Sinfonie, 2. Satz, Staatskapelle Berlin
Zwei Orchester auf Spitzenniveau

Wie die Kammerphilharmonie Bremen ist auch die Staatskapelle Berlin mit exzellenten Musikern besetzt. Die Solopartien der Bläser sind ausnahmslos hinreißend gespielt, sei es in den Posaunen, Flöten, Oboen oder Klarinetten.

Musik: Johannes Brahms, 1. Sinfonie, 3. Satz, Staatskapelle Berlin

Eine Sonderrolle hat Brahms dem Solohorn eingeräumt, das in vielen Passagen in den Vordergrund tritt. Auch im Finale der ersten Sinfonie, in dem das Horn eine von Alphornrufen inspirierte Melodie anstimmt. In beiden Aufnahmen ein Moment von berückender Schönheit. Bei der Staatskapelle Berlin klingt dieser Hornruf rund und voll.

Musik: Johannes Brahms, 1. Sinfonie, 4. Satz, Staatskapelle Berlin

Die Solohornistin der Deutschen Kammerphilharmonie Bremen spielt diese Passage etwas weicher und schwebender, passend zum Bild eines Alphorns auf dem entfernten Hügel einer Berglandschaft.

Musik: Johannes Brahms, 1. Sinfonie, 4. Satz, Dt. Kammerphilharmonie Bremen

Es gibt hier natürlich kein richtig oder falsch, sondern zwei unterschiedliche Auffassungen, die beide ihre Berechtigung haben und auf orchestralem Spitzenniveau realisiert sind. Beim direkten Vergleich hängt der Eindruck auch stark davon ab, in welcher Reihenfolge man die Aufnahmen anhört. Wer sich von einer neuen Einspielung auch neue Impulse erhofft, ist sicher bei Järvi besser aufgehoben, wer bei Brahms das sämige Legato und einen üppigen Klang schätzt, wird von Barenboim reich beschenkt.

Musik: Johannes Brahms, 2. Sinfonie, 2. Satz, Staatskapelle Berlin

Die beiden Produktionen unterschieden sich auch in der Repertoireauswahl. Paavo Järvis CD ist die zweite Folge eines auf drei Jahre angelegten Brahms-Zyklus, sie kombiniert die erste Sinfonie mit den Haydn-Variationen.

Daniel Barenboim hat mit der Staatskapelle Berlin das Gesamtpaket auf einen Schlag veröffentlicht. Die Sinfonien zwei bis vier setzen den Weg fort, den er mit der ersten einschlägt. Mit der Reife und Gelassenheit eines 75-jährigen Dirigenten gibt er der Musik Raum, um ihren ganzen Reichtum zu entfalten: Die herrlichen Themen, die dichte Polyfonie, die in der Akustik des neuen Pierre-Boulez-Saals in Berlin transparent abgebildet ist, aber auch den harmonischen Farbreichtum, den er genüsslich auskostet. Das wohl extremste Beispiel ist das Andante moderato aus der vierten Sinfonie, in der die Zeit beinahe stehen zu bleiben scheint. Man kann das als viel zu langsam empfinden und Barenboim vorwerfen, dass die Musik auf der Stelle tritt. Man kann das Tempo aber auch als Möglichkeit des Innehaltens wahr nehmen und sich in eine andere Sphäre tragen lassen. Dann wirkt dieser Satz wunderbar zeitlos und entrückt, wie der Ausblick in eine himmlische Farbwelt.

Musik: Johannes Brahms, 4. Sinfonie, 2. Satz, Staatskapelle Berlin

Ein Ausschnitt aus der Gesamtaufnahme der Brahms-Sinfonien mit Daniel Barenboim und der Staatskapelle Berlin, die bei der Deutschen Grammophon erschienen ist. Die Einspielung der Deutschen Kammerphilharmonie Bremen unter Paavo Järvi ist eine Produktion von RCA Red Seal.

Johannes Brahms
Sinfonien Nr. 1-4
Staatskapelle Berlin
Ltg.: Daniel Barenboim.
Deutsche Grammophon 4835251 (4 CDs)

Johannes Brahms
Sinfonie Nr. 1 c-Moll, Haydn-Variationen
Deutsche Kammerphilharmonie Bremen
Ltg. Paavo Järvi
RCA Red Seal 19075869552

https://www.deutschlandfunk.de/sinfonik-von-johannes-brahms-zwei-dirigenten-zwei.727.de.html?dram%3Aarticle_id=429500

Thursday, September 27, 2018

HINDEMITH Mathis der Maler; Symphonic Metamorphosis NAÏVE

musicweb-international.com
Robert Cummings

Paul HINDEMITH (1895-1963)
Symphony “Mathis der Maler” (1933-34) [28:01]
Symphonic Metamorphosis on Themes of Carl Maria von Weber (1943) [20:38]
Five Pieces for String Orchestra, Op. 44/4 (1927) [13:23]
Ragtime, Op. 26/5 (1921) [3:34]
Frankfurt Radio Symphony Orchestra/Paavo Järvi
rec. 2010-13, Alte Oper, Frankfurt
NAÏVE V5434 [65:57]



The first three of the four works listed here are arguably Hindemith’s most popular compositions, though perhaps only the Symphonic Metamorphosis is in, or on the fringes of, the standard repertory. One is often tempted to speculate about why Hindemith’s popularity has apparently been on the decline since the 1970s. In the 1960s, for example, Hindemith was often mentioned in the company of Prokofiev and Stravinsky and was more popular than Shostakovich - at least on recordings; I still have catalogues from that era which reveal that surprising fact. I raise this issue because conductor Paavo Järvi, a champion of Hindemith’s music, comments on the composer’s unfairly neglected status in a brief note contained in the album booklet. Anyway, the works on this CD are all quite fine, the Mathis der Maler Symphonyand Symphonic Metamorphosis qualifying as first-rate masterpieces.

Here Järvi and company make a good case for Hindemith as a heavyweight among his contemporaries. Järvi delivers fairly straightforward but detailed readings which are intelligently phrased and well recorded. The Frankfurt Radio Symphony Orchestra plays splendidly for him, sounding world-class in their precision and collective technique.

This Mathis der Maler may not come across as quite as majestic or thunderous in sound as certain other performances, but it is still epic and sonically imposing. Yet it also exhibits a welcome leanness, and brims with energy where appropriate. Conductor Järvi points up much meaningful detail in the process, producing a fine performance. In the first movement the horns play right off with a suaveness and nobility, and the strings effervesce with spirit and energy in the faster music. Here and in the other two movements, the brass typically plays with a burnished, but never piercing, tone which suits Hindemith’s often brass-laden scoring quite well. Järvi blends the various orchestral sections together to get perfect sonic balances and his tempo selections are judicious, if slightly on the slow side.

The short second movement goes very well and Järvi never makes a misstep in the complex and lengthy finale, brilliantly negotiating the mood changes and tricky orchestration, the tempos again slightly on the leisurely side. Thanks must of course go to the fine Frankfurt Radio players; through all the building tensions and final glory, they perform with collective virtuosity and utter commitment.

An equally impressive effort here is that of the Symphonic Metamorphosis. Järvi finds just the right tempo for the first movement and coaxes the brass to ring out with robust mischief. In the brief middle section, the oboe and other woodwinds perform with an infectious playfulness. The second movement (Turandot) is delightfully raucous and witty, played with such gusto by the brass, and vigor by the strings. The Andantino third movement is well executed and the closing panel (Marsch) is delivered with as much life-affirming zest as you’re likely to encounter in almost any other performance of this great and colorful work.

The Five Pieces for Strings can sometimes sound dour, and at other times angst-filled, but there isn’t a hint of the self-pity or despair here as you may sometimes discern in a plethora of works by other 20thcentury composers. In this very spirited and energetic performance by the Frankfurt Radio strings, Järvi short-changes no aspect of the darker side of this work, and he points up the sunshine, subtle wit and even the playfulness of the music —not missing its undercurrent of menace. Järvi and the Frankfurt Radio players deliver a colorful and hilarious performance of Ragtime; the rowdy laughter at the outset sets the stage for all sorts of aural high jinks. A fine closer.

Naïve offers excellent sound throughout this disc. As far as I can determine, these performances, recorded from 2010 to 2013, are being issued here for the first time. Thus, one wonders what took so long. Whatever the reason, I’m happy they’re finally available. Now as for the competition... there have been many fine recordings of these various works down through the years by the likes of Bernstein (a conductor who spoke glowingly of Hindemith), Karajan, Werner Andreas Albert and others. One might well cite a better performance of the Mathis der Maler Symphony or other of the works here, but as a collection, this new effort by Paavo Järvi is simply hard to beat. Highly recommended!

http://www.musicweb-international.com/classrev/2018/Sep/Hindemith_Mathis_V5434.htm

Wednesday, September 19, 2018

A conducting dynasty: in conversation with Neeme Järvi and his sons Paavo and Kristjan

gramophone.co.uk
James Jolly
19.09.2018

With Neeme Järvi having just turned 80 and Estonia marking its centenary, James Jolly seizes the chance to meet Neeme and his sons Paavo and Kristjan – their country’s finest conducting exports


Neeme Järvi has been honoured with Gramophone's 2018 Lifetime Achievement Award. This article was originally published in the January 2018 issue of Gramophone.

For many years, there has been one item on Gramophone’s ‘to do’ list: talk conducting with the Järvi family – Neeme and his sons, Paavo and Kristjan; not individually, but all together. For the past few years, diaries – the three maintain pretty hair-raising schedules – have stood in the way. But last summer, the stars were in alignment, the omens were good, and all three were gathered in the same place, Tallinn, the capital of Estonia – a country which, this year, marks its 100th anniversary. Such a milestone is being celebrated in an all-embracing ‘Estonia 100’ initiative which is attracting many visitors to this small but dynamic Baltic nation.

Neeme is now Principal Conductor and Artistic Director of the Estonian National Symphony Orchestra (a role he previously held from 1963 to 1979), and he resides in Tallinn. Around the time of our interview, he was working with student orchestras as part of the Järvi Academy, while Paavo had been conducting his recently formed (in 2011) Estonian Festival Orchestra in nearby Pärnu; he was also spending time in Tallinn with his father’s orchestra, of which he’s Artistic Adviser, recording a selection of Arvo Pärt’s music with Viktoria Mullova for Onyx (due out this autumn), as well as giving conducting masterclasses. As for Kristjan, he works regularly in Estonia and happened to be in town for a few days.

The setting for our conversation was rich with nostalgia. We sat down in the studio where the acclaimed young Estonian photographer Kaupo Kikkas works and which happens to be inside the building that, back in Soviet times, was Tallinn’s official ‘House of Composers’ where composers would live and work. It was there – once the red tape had been cut to allow a conductor to move in – that the Järvi family lived and where Paavo was raised. It stirred many memories for Neeme who, with his laconic wit, was provoked to dig deep into the past.

Neeme was on fine form and both Paavo and Kristjan were clearly deeply respectful of their father; he, in turn, was palpably proud of what they have achieved. But the Järvi conducting dynasty actually stretches back further than the current trinity. And that’s where we started our conversation …


(l-r) Paavo, Neeme and Kristjan Järvi with James Jolly (photo: Kaupo Kikkas)

Neeme My brother, Vallo – he was 13 years older than me – was very active as a conductor. He was a percussionist first and then a conductor – exactly like me. Everything he did, I did afterwards – my mother was a strong lady and she always said, ‘Vallo has done that. You have to do it too!’ Vallo was a conductor of Theatre Estonia and conducted all the opera and ballet repertoire in the country. He didn’t travel outside Estonia (these were Soviet times) but he was a hard worker and a good conductor – I learned a lot from him. Once I was playing the xylophone for him in Eine Nacht in Venedig by Strauss, and I knew the piece well, so I said, ‘Let me conduct!’ – and so I did. And in the same concert there was the Khachaturian Violin Concerto, which I played on the xylophone with Vallo conducting – so that was my second outing in the same concert! It was such fun …

Paavo … and it was an old-fashioned xylophone, too!

Neeme I’d played it since I was four-years old – it was my first profession. Then I went to the Leningrad Conservatoire. It was about the same time that the Berlin Philharmonic/Karl Böhm Mozart symphony set came out on DG and we listened to it every day. Kristjan was about three and wasn’t really speaking yet. One day he was messing around behind one of the loudspeakers – one of those big old-fashioned ones – and it fell over onto him. He came rushing in, pointing to his head and crying, ‘Mozart!’ That was pretty typical of our family life (and still now, if anyone hurts his head, we point and cry ‘Mozart’!).

James Was there ever a suggestion that Paavo or Kristjan might do something other than conducting?

Paavo Never! I never wanted to be anything else – I think I wanted to be like my father, basically! It wasn’t so much that I wanted to be a conductor but more that I looked at my father and he was having so much joy that I wanted to do it too. It was never a case of, ‘Let’s do something else’.

Kristjan For me, it was about everything except conducting. I used to think, ‘Vallo, Neeme, Paavo … Kristjan. No, three is probably enough!’ Also, I didn’t feel like it would be a business, as it were, that could accommodate so many from the same family doing the same thing. Of course, times were different for each of us. When I got to America I thought, ‘Wow. There are so many things I could do’. And so it’s kind of a miracle that I became a conductor – and that’s all thanks to my piano teacher Nina Svetlanova who actually insisted on the Manhattan School of Music. She said, ‘Just try it for two years and if you don’t like it, then do something else.’ And two years turned into four years, and four years turned into six years. Then things developed – I started having conducting lessons, then I started Absolute Ensemble and went to university in Michigan, and then I got the position as Esa-Pekka Salonen’s assistant in LA and then … [Paavo interjects: ‘There was no way out!’] It was kind of like quick sand.

Neeme The percussionists at the Opera used to drink quite a lot! Once, we were doing Glière’s ballet The Red Poppy – a very popular piece at the time. There’s one section where all four percussionists play and I looked round and no one from my section was there. So I took all the parts myself, playing with my hands, my legs, my feet, with everything I could. Luckily I knew the piece! When it was over, the other percussionists returned and asked me, ‘So where are we?’ ‘It’s already passed,’ was my answer! I also used to play four-hand piano music with my brother – Haydn, Mozart … Everything went wrong, but we didn’t stop! We didn’t care about wrong notes – it was the lines we were after. But thanks to a percussionist’s training, you get a feel for rhythms. And the rhythms are really important in a conductor’s life; to lead things, to catch the pulsation of the piece.


Paavo Järvi (photo: Kaupo Kikkas)

Paavo It’s funny but when we have the students here for the Academy, the weakest thing is the rhythm. I find, in general – and it’s a strange thing – that the rhythm’s lacking. It’s not a question of not being able to count difficult rhythms but the basic sense of rhythmic pulse. They stop the orchestra and say ‘You’re late’ but they’re not feeling the basic pulse themselves.

Kristjan When we’re taking about rhythm, we’re not talking about Morse code; we’re talking about actually how you rhythmically convey a phrase that has an anchor and which leads logically to another phrase. Rock bands have a groove – you can just feel it. With the really good ones you can just feel there is something that’s so in the right place.

Neeme Kristjan’s fanaticism comes from the rhythms. He has the Absolute Ensemble which he created. It’s a fantastic group. If you hear them – and personally I don’t very much like this kind of stuff! – there’s an amazingly tight sense of rhythm. It is such a wonderful thing to hear rhythms that are so tight. It’s so not my world, but it’s very impressive.

James People on the outside often have this idea that the conductor just stands up and performs some kind of magic. Are they imposing, or steering, or are they enabling?

Paavo I think that unless you are actually a conductor yourself, you don’t really, truly, understand what goes on between the players and the conductor. There is some kind of chemistry. The orchestra plays and good music is made, and it has nothing to do with logistics, nothing to do with helping the players through a complicated passage. Sometimes you see someone who appears to be all over the place and when the players look up they don’t seem to understand anything, but somehow, something happens. Then there are people who are all organised and precise and nothing happens! And then there is everything in between. It’s a very tricky thing.

Neeme Rimsky-Korsakov said the conductor’s profession is a murky business. And it is. There aren’t exactly rules. It depends on so much: what kind of personality you are; what kind of leader you are; what kind of strong man you are; what kind of technician you are. But you need talent first – you can be a very good technician but you need talent too. It’s such a strange combination. You can have a strong personality and image but if you don’t look welcoming it doesn’t work. You need an artistic presence and that must be conveyed in your gestures. You need to be helpful to the orchestra though your eyes, your arms, your elbows, your wrists. But if you don’t have any ideas then you can’t be a conductor. You have to inspire.

Kristjan I have to add here that my father hardly ever moves when he conducts.

James Is that not something that comes with age? As conductors reach their prime, they hardly move at all.

Paavo Because they don’t need to. They’ve got all that stuff done.

Neeme If a conductor waves his arms about, the audience thinks he’s working hard but he’s probably just disturbing the musicians!


Kristjan Järvi (photo: Kaupo Kikkas)

Kristjan There are different factors. He’s 80 and I’m half his age and that also makes a difference. Not just in terms of knowledge and experience, but in the fact that there’s a certain built-in respect, no matter what. But the most incredible thing to learn from him, and also when I see him teach, is that it is the most subtle, genuine and intuitive form of communication when you can actually assess and feel each other through small gestures and glances. You get such an amazing result – one that is so hard to explain in words. You reach such a level of understanding and honesty that words aren’t needed. That’s the most wonderful thing I see when my father conducts. He doesn’t need to show or prove anything. It’s a miraculous result with hardly any effort. That’s true virtuosity.

Paavo Barenboim said to me the other day, ‘You know, your father is liked by every orchestral musician that I know. Why is it?’ ‘Because he’s very good!’ It was interesting because Barenboim travels around a lot, performing with many different orchestras. Every orchestral musician likes our father – I know this too because whenever I guest-conduct they all come up to me and ask me: ‘How is your father? We’ve not seen each other for a while.’ It’s because it’s organic. He’s real. If you don’t connect with your players, it doesn’t work.

Neeme Conducting is something like an artist’s work, like drawing. You draw a line, you follow the pencil, you go there, you finish beautifully. It is exactly the same thing in music. You’re drawing naked lines, phrases. What’s missing? Ideas! The main thing is, ‘How do I do this?’, not, ‘I already know how to do this because my plan is quite clear, I know how I’m going to make this phrase go there, and so on’. That’s phrasing – where I want to go, from here to here and there to there. And that’s what engages the ideas, how to trace this movement. I reach that place with successful lines. You’re drawing with a stick and the players are following you immediately.



Paavo Yesterday in a masterclass we saw some young people conducting. We had a very good Russian guy and it was so obvious that he just loved it so much – and it totally worked. And then another person conducted and you felt that he wasn’t connected to the music at all. And he’d say, ‘I started pushing here because he writes accelerando at this point.’ ‘Yes, but how do you get to that point? And why?’ [Neeme interjects: ‘Musicianship!’] But that first person simply just did it. Everyone felt his unbelievable love for the music. He forgot he had to look one way or another. He was just willing everyone on.

Neeme It’s such a joy, and people perceive this joy. If you don’t have any ideas, or have just heard the music formulaically or bar by bar, or say that ‘the composer has written it like this’, it’s no good … The composer doesn’t know anything about that. We have to try and find what the composer wanted. Take Glazunov: if you look at the music on the page, it’s all boring, but if you start to conduct it and bring your ideas, it’s not boring at all.

Kristjan It’s not that the composer doesn’t know anything. That’s not what my father is trying to say. The composers do know what they want – but they also change their minds. We work with living composers all the time.

Paavo Take Arvo Pärt, which we’re recording at the moment. Vika Mullova shows up with a metronome and the marking says ‘80’. And I say, ‘No, that’s way too fast’, and we do the whole thing at 40 because it sounds so much better! That happens all the time with Pärt.

Kristjan And on the spot, too. Music happens on the spot, not on the page. If something is convincing, then it works.

James The thing that sets you all apart from so many conductors is your insatiable appetite for repertoire, both old and new. Both Neeme and Paavo in particular have recorded dozens of pieces which have added enormously to the catalogue. What drives your approach to programming, particularly with respect to the rich musical heritage of Estonia?

Paavo When you grow up in a country like this, and with a father like this, there’s a certain sense of a mission, a mission to introduce Estonian composers outside Estonia. Then there is always a system of priorities because if you’re a music director in Germany you have composers that the German orchestras expect their music director to play – so when I was in Frankfurt I did a lot of German composers like Jörg Widmann, Peter Ruzicka and many others. But if you guest-conduct and you don’t feel you have a responsibility to a local orchestra, then, if you are given a choice to do a new piece, I always – as a matter of principle – choose an Estonian piece. So, for example, we were at the BBC Proms recently and we did an Erkki-Sven Tüür work [Flamma]. There are many great German and British composers, but as I am an Estonian it’s my duty to champion Estonian composers because we don’t have so many people to introduce our music. So if I were to go to Cleveland or Chicago and they asked, ‘Would you like to do a John Adams piece or an Erkki-Sven Tüür piece?’, I would do the Tüür because nobody else would do it.

James And you, Kristjan, grew up in the US. Do you see yourself as much an American as an Estonian? How deep do your roots go?

Kristjan When people use the word ‘culture’, that’s basically identity. I identify with the fact that my home is Estonia but that I grew up in America and that country gave me a lot. Of course, the word ‘culture’ means very different things to different people. It can mean opera for one, to another a sports event, but for us Estonians it’s our geography, it’s our agriculture, it’s our architecture, our design, music, dance, literature, and that’s what creates this family of Estonians, since we not so many. Paavo said that when he has a choice to programme something like Erkki-Sven Tüür or Adams, he would programme Tüür … Well, I don’t think there’s an orchestra in Germany that’s played more Estonian music than the MDR Radio Symphony Orchestra [of which Kristjan is Music Director]. But I’ve also tried to have Estonian performers and soloists, not only in the classical genre but incredible folk artists and jazz musicians too. We played Eduard Tubin within a concept called ‘Baltic Folk’ where we had Tubin played by this Estonian folk violinist but also on an electric violin. It took Tubin’s folk music into a completely modern, ‘electro’ setting which isn’t jazz but is totally contemporary – ‘urban folk’ perhaps. And we were also introducing an old Estonian classical symphonist who people might not know through a genre which is very much in vogue these days, complete with a symphony orchestra.

Neeme We’re now in Estonia, a small country with a lot of wonderful composers. But as conductors we need to know the music of the world. We don’t need to know only Mahler and Bruckner or Beethoven. I personally need more. I was, for 24 years, Principal Conductor of the Gothenburg Symphony Orchestra, Sweden’s national orchestra, and we did so much there. What an interesting story they have: their second Principal Conductor was [the pianist, composer and conductor] Wilhelm Stenhammar, his good friend was Sibelius, Nielsen was a guest conductor there, and they all worked together in Gothenburg. Yet even today, people are still asking me, ‘Where is Gothenburg?’

Paavo But, because of you, they probably know it better!

Neeme It’s important to engage with the culture of your orchestra’s country. So, with the Gothenburg Symphony Orchestra and also the Royal Stockholm Philharmonic, we did a lot of Swedish music. We made the first Stenhammar recordings and recorded the orchestral works of Hugo Alfvén, and now I’ve just finished the first complete set of symphonies by Kurt Atterberg, who I think is one of the greatest of all Swedish composers. Completely forgotten! The Dollar Symphony was first conducted by Toscanini, and Beecham also did it – it’s a wonderful piece. It was written as an attempt to finish the Unfinished Symphony by Schubert.

Kristjan Here’s an interesting fact: for all of us, our first conducting positions since leaving Estonia have all been in Sweden.

Neeme Yes, Paavo was Chief Conductor of the Malmö Symphony Orchestra and then Principal Guest Conductor of the Royal Stockholm Philharmonic, and Kristjan was Chief Conductor of the NorrlandsOperan. And what is Sweden, to us, all about? Once upon a time everything belonged to Sweden, even Estonia was under Sweden – Norway was, Denmark was, Finland was, and even in the Tsar’s time there was Swedish influence. So when I arrived in Gothenburg we did 19 discs for the BIS record label, including the Sibelius symphonies. Every Swedish musician knows Sibelius is a Swedish composer! Sibelius spoke Swedish at home. Finnish speakers were in the minority. Now of course all the conductors who come from Finland only ever conduct Sibelius, almost nothing else that’s Finnish. There are a lot of wonderful Finnish composers – Uuno Klami, Leevi Madetoja, Erkki Melartin – but the world doesn’t know about them. They need to be more available.

Actually, talking of Sibelius, I have to tell a story. Paavo was conducting the Kullervo Symphony with the Stockholm Philharmonic. The fourth movement, in five, goes very quickly, and suddenly his baton flew out of his hand. A double bass player picked it up – Paavo saw he’d got it and signalled to him to give it back. So the double bass player throws it – Paavo is conducting away in five – and he reaches up and catches it and continues conducting. Where is CNN when you need it? [Paavo: ‘That’s a clip that would have gone viral!’]

James Neeme, you’ve recorded the music of neglected composers from beyond Sweden, too …


Paavo and Neeme Järvi (photo: Kaupo Kikkas)

Neeme Yes, I then went to Norway and did recordings of Johan Halvorsen and Johan Svendsen – marvellous music! And then to Denmark for Rued Langgaard and of course Carl Nielsen. It is such a wonderful area for music. Then there’s the Hungarian music of Leó Weiner – who is Leó Weiner? My record of the Divertimentos Nos 1-5 and the Serenade has just come out on Chandos [11/17]. And then there’s Romanian music, Bulgarian music, Polish music …

So, my message is, ‘Don’t always play the same music, find the good stuff that people don’t know’. That’s why I really admire what Paavo has done by recording all that great music. He has done mainstream – in Cincinnati he did everything that needed to be done – but he has also created a new approach to Beethoven with the Deutsche Kammerphilharmonie Bremen, and at a time when it’s already been done hundreds of different ways. And now it’s the symphonies and orchestral works of Brahms … It’s a love story with that orchestra!

I’ve been incredibly lucky with my record companies and we’ve done some great work together – BIS at the start and then Chandos; from Brian Couzens to Ralph Couzens, Chandos is one of the greatest British companies that still survives!

James When you go to guest-conduct an orchestra in its own native music, how does the equation work between what you bring and what they bring?

Paavo It’s interesting that if you go to France and you play French music it’s obvious that there are certain things that they just know. I’ve learned a lot of things from the Orchestre de Paris especially with pieces like La valse. I thought I knew that piece very well, but there were certain little things they did that were kind of amazing. Then again, sometimes they have a kind of tradition that makes no sense at all, but they’ve always done it. And you say, ‘I know you think you know it, but I don’t hear it that way.’ ‘But we’re a French orchestra, we know how it’s played …’ And so, if you have a relationship with an orchestra, you undo that tradition.

James But the Orchestre de Paris is not an old orchestra, it only goes back to the 1970s …

Paavo True, but they believe, for real, that they premiered the Symphonie fantastique with Berlioz conducting because somehow they’ve traced their origins back to the Conservatoire orchestra. It is a little bit of myth-making, but when they play Symphonie fantastique you just feel – in comparison to any other orchestra you may conduct – that something unique is happening.

Neeme They’re taught in the Conservatoire, ‘This is how you do it’. [Kristjan: ‘And they play Beethoven in a very French way too!’]

James How do orchestras retain a personality down the generations? The Cleveland Orchestra, for example, is still recognisable as George Szell’s orchestra all these years later …

Kristjan That’s like the Vienna Philharmonic, but there are very few orchestras in the world like that.

Paavo Well, the Czech Philharmonic still sounds like the Czech Philharmonic!

Kristjan That’s an incredible orchestra – probably one of the best orchestras which has that type of tradition. But mostly it is through a certain cultural identification – a pride.

James Is it a flip side of the easy dissemination of music that orchestras now sound very similar and no longer have the immediately identifiable personalities that they once had?

Paavo It’s because the world is so much more cosmopolitan: in the Berlin Philharmonic you’ve a French flautist, an English oboist and, among the double basses, an Australian and two Finns.

Neeme One problem with orchestras is when the chief conductor changes every four years. It has to start from nowhere each time. Take Szell and the Cleveland Orchestra, they lived together for over 25 years – here was a conductor who asked for his wishes every day when he came to his orchestra. He created his style and his repertoire, and it was always great because professionally it was at such a high level. There was a George Szell sound. There was a Mravinsky sound. It comes from working with an orchestra for a long time and making them a highly professional ensemble.

James Szell, Reiner and others were legendary for their dictatorial style. The musicians were terrified of them, yet the results speak for themselves … That couldn’t happen today.

Paavo No, of course not. Well, in North Korea perhaps! [Neeme: ‘You can’t do terror nowadays.’]

Kristjan Governance of conductors is very like governance at the state level. Yes, dictators get amazing results. But at the same time you can empower the people and lead them, not actually govern them but direct them. And that’s how we all work, not by terror. Orchestras are just small nations.

Neeme In Leningrad, I’d listen to Yevgeny Mravinsky, Kurt Sanderling and Arvīds Jansons (Mariss’s father). I remember being in the hall for the first performance of Shostakovich’s Tenth Symphony, and also for the first time that Mravinsky conducted an accompaniment – for David Oistrakh – in the Shostakovich Violin Concerto No 1. [Paavo: ‘A “real” conductor didn’t do accompanying back then!’] And there were always six rehearsals for every programme. Then the Krushchev era arrived and we had a visit from the Cleveland Orchestra, and the Boston Symphony Orchestra came with Charles Munch and Pierre Monteux. And then Ormandy came with the Philadelphia Orchestra. Then Stokowski came to conduct the Leningrad Philharmonic. I went up to him and said, ‘We’re students and we’d really love to come to your rehearsals but they won’t let us. Can you help?’ The director of the orchestra, who was a very strong man, said ‘No!’ They went in and shut the door on us. We waited a few minutes, then the door opened and we were all summoned in. Stokowski had insisted we be allowed to come in and as soon as he said this the director became a weak man and gave in! We entered and Stokowski had reseated the entire orchestra – completely rebuilt it! All the winds were to the right, all the strings to the left, and the double basses were in the middle on risers, facing into the hall – normally the orchestra played on the flat. And Stokowski came in, didn’t say a word but started conducting [Neeme sings the Tristan Prelude]. It was amazing. I remember shaking hands with Stokowski and he wore white gloves which he never took off. You learn a lot from seeing these great conductors. Nowadays, the opportunities that I had simply don’t exist. It was a very special time.

https://www.gramophone.co.uk/feature/a-conducting-dynasty-in-conversation-with-neeme-paavo-kristjan-j%C3%A4rvi